メールが普及していなかった時代、女性誌のライターとして毎日のように出版社に出入りしていました。
ネタ探しと締め切りに追われる報道系に対して、コスメやファッション担当のライターは見た目も華やか。たしかに身なりに構わないようなずぼらなライターに美容記事を発注する編集者はいないでしょう。
私は健康やお金といった実用記事を担当し、占い原稿を書くようになったのですが、その時に編集者にかけられた言葉が忘れられません。
「メイクが下手なコスメライター、太っているダイエットライター、貧乏なマネーライターはいない。占いを担当するからには、運がよくなくてはいけないから一番ハードルが高い」
しかし、多くの占い師を取材しているうちに、運の悪い占い師にも出会いました。やたらと偉そうで、ゲラを送れば真っ赤になって返ってくる。反対に、売れっ子の占い師は感じがよくて鷹揚です。
占いについて書いているだけでは飽き足らず、2年ほど横浜中華街の占い店で対面鑑定もしました。
現場に身を置いたことで、不運な占い師は開運指南ができないかというと、そうとも限らないと思うようになりました。裕福な家に生まれ、働かなくても一生お金に困らないという占い師は、金運アップのアドバイスはむずかしいでしょう。あるいは美貌とコミュ力に恵まれた占い師の恋愛アドバイスには説得力がありません。
そんなことが頭にあると、この本から多くを学びました。
小津安二郎は33歳の働き盛りで日中戦争に送られました。中国人の集落に毒ガス弾を撃ち込み、逃げ遅れた住民を切り殺すなど凄惨な戦争体験を経て、「立派な戦争映画を作る」と語ったものの、どうしても撮れませんでした。現実はあまりにも過酷で、スクリーンに落とし込めなかったのでしょう。その一方で、戦争にも行かずに戦争映画を撮る監督もいました。
カウリスマキは小津を尊敬するのは「人生の根源を描く時、一度として殺人や暴力や銃を使わなかったから」と語っています。
原節子は姉の夫である映画監督が目を光らせていたため、映画業界内で恋愛に落ちることはなく、小津安二郎は息子を溺愛する母親が結婚の機会を奪っていました。
結婚して家庭を守り、子孫を残していく。そういう生き方は望めない、望まない監督と女優が、家族を映画のなかで描き出し続けたのだった。
節子も小津も重き荷を背負い、見るべきものを見すぎていたのかもしれない。
女性占い師は「結婚していないくせに」「子供がいないくせに」という視線をよく浴びますが、結婚していないからこそ、子供がいないからこそ見えてくるものがあります。
日本の観光名所では顔出しパネルが多いのですが、マドリードの王宮前広場では衣装を貸し出して撮影します。本物の闘牛士やフラメンコダンサーじゃなくても、しばしその気分に浸るのも一興でしょう。