翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

丙午の美学『原節子の真実』

『女帝 小池百合子』がおもしろくて一気に読みました。ノンフィクションということになっていますが、著者の石井妙子による物語のようでもあります。

ウラナイ8のメンバーも興味を持ち、東西占術の研究会を開きました。著者に対してはメンバーそれぞれに思うところあり、できれば彼女の分析もできればよかったのですが生年月日がわかりませんでした。

 

二冊目としてこの本を読みました。 

 

原節子の命式を目にしたのは、玉紀さんの「午の会」でした。原節子は日柱が丙午。一般には丙午年生まれの女性は強すぎると敬遠されますが、四柱推命では生まれた日を自分として見ます。同じ年に生まれた人が全員同じ性格というわけはなく、日干と月支の関係を重視します。

原節子の場合は、丙午を日柱に持つだけでなく、生まれた月も午の月。燃え上がるような命式ですが、ただし壬午の月で年は庚申なので、多少は火を弱めています。

 

小池百合子の生家を描く石井妙子の筆致はまるで小説のようでしたが、原節子も同じように描かれています。

横浜の保土ヶ谷に、4人の姉と2人の兄の下に誕生。長男は外語大でフランス語を学び弁護士になり、長女と次女は振袖に袴姿でフェリス女学院に通学したという裕福な生糸問屋の末っ子です。

ところが、3歳の時の関東大震災で実家は倒壊し、母親が大やけどを負い、小学校に入った頃には世界大恐慌のあおりを受けて生糸市場も打撃を受けます。実家は一気に困窮しますが、姉と兄の愛情を受けて育ちます。

原節子が女優になったのは、姉の夫・熊谷久虎が日活の映画監督であったことと、姉と兄から受けた恩を返し親孝行したいという気持ちからです。というのも当時の女優は良家の子女がなるものではなかったからです。女学校を中退し14歳で映画界に入ります。

 

原節子は戦時中、航空兵になる弟を支える姉、製鉄所で増産に励む勝気な女性といった戦意高揚映画に出演し続けます。当時の彼女に選択権はなかっただろうし、国民のほとんどは戦争は正しいことだと信じていたのですから、しかたがないことです。

西洋にも通じる美人ということで、日独合作のプロバガンダ映画でもヒロインを演じ、ベルリンに招待されます。ドイツではヒットラーの側近であるゲッベルス宣伝省大臣にも紹介され、通訳を交えて談笑し、ゲッベルスは愉快そうに打ちとけたとあります。

『女帝 小池百合子』ではその宣伝力が「ゲッベルスになれる」と評されたとありますが、原節子は本物のゲッベルスを魅了したのです。

 

40代で引退し、以後マスコミの前には決して現れず、鎌倉で50年近く隠遁生活を送り、2015年に95歳で死去。

引退の理由は「撮影のライトで目を患ったため」「容姿の衰えを見せたくなかったから」などと言われていますが、石井妙子の考察が胸を打ちました。

 

 戦後、多くの映画人が戦前の自分の行いを反省する言葉を口にした。あるいは、「自分は騙されていた」「戦争には反対していた」「無自覚だった」と弁解した。しかし、節子は戦前戦中の自らについて、明確な形で安易に反省の弁を述べることはしなかった。だが、彼女の後半生の隠棲は、この前半生の延長にあったのではないだろうか。己の幸せを追い求めず、経済的に余裕ができても贅沢をせず、出歩かず、家に籠り続ける日々。漏れ伝わる彼女の生活は、まるで喪に服し続けるように質素そのものである。 

陰陽五行の「火」が強い人は、人目にを惹く華やかさがあり、次から次へと燃え移る火のように引き際が鮮やかで潔い。丙午の美学を体現するかのような人生です。

 

そして、原節子といえば『東京物語』に代表される小津映画のイメージが強いのですが、『原節子の真実』によると小津映画で演じた役柄があまり好きではなく、自分で人生を切り開いていく強いヒロインを演じたいと願っていたそうです。 

f:id:bob0524:20151010170857j:plain

 『東京物語』の舞台となった尾道浄土寺の境内からは、山陽本線と瀬戸大橋が見えました。

 

原節子の生涯に興味を持ったのは、私の人生も『東京物語』によって少なからぬ影響を受けたからです。

アキ・カウリスマキ監督の『浮き雲』がフィンランド映画なのにとても日本的。文学の道を志していたカウリスマキが映画の道に入ったのは『東京物語』を観たからと知りました。

小津とカウリスマキの一連の作品を観るようになり、レニングラードカウボーイズに行き着き、以来フィンランド一直線の人生です。

 


Aki Kaurismaki on Ozu

 『アキ・カウリスマキ、小津を語る』

うちに来たフィンランド人と何度この動画を観たことか。