翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年秋、スペイン巡礼(フランス人の道)。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。おかげさまで重版になりました。

『東京物語』のおもてなし

カウチサーフィンを始める前は、自宅に人を泊めるのは避けていました。
東京暮らしで専用の客室はないし、何かと気を遣う。「泊めて」と頼まれたら、ビジネスホテル代をこちらで負担するから、泊まらないで欲しいと思うぐらいでした。

蔵書の半分を処分し、4畳半の仕事部屋に布団が敷けるようにしてカウチサーフィンを始めましたが、誰でもOKというわけでなく、泊める人は厳選しています。
北欧インテリアの国、フィンランドからの旅人をごちゃごちゃした狭い部屋に泊めるのは気が引けるのですが、そんな時に思い出すのが、『東京物語』で原節子扮する紀子が義理の両親をおもてなしするシーンです。

東京物語』を折に触れて観るようになったのは、アキ・カウリスマキを映画の道に引き込んだ作品だと知ったから。

カウリスマキ映画を観て、どこか懐かしく感じて「この国(フィンランド)に行ってみたい」と思ったのですが、それもそのはず、小津の手法がカウリスマキ映画で再現されているからでした。

東京物語』では、尾道からはるばる上京した両親(笠智衆東山千栄子)を長男(山村聰)と長女(杉村春子)は歓迎しつつも、仕事がいそがしく、つい自分たちの生活が優先となってしまいます。
熱海の温泉旅館に送り込んで親孝行したと思い込んでいますが、夜中までどんちゃん騒ぎが続く旅館では老夫婦はとてもくつろげず、予定を切り上げて東京に戻ってきます。

老夫婦は子どもたちに対して決して不満を口にしませんが、酒の席で夫は旧友(東野英治郎)とこんな愚痴を交わします。

「親の思うほど、子どもはやってくれませんな」
「欲張ったらきりがない。あきらめなきゃ」
「あれもあんなやつじゃなかったけど、しょうがない。ええと思わんと」
「今どきの若い者の中には平気で親を殺す者もいる。それと比べればなんぼかましじゃ」

このあたり、今の老人が口にしても違和感がありません。昔も今も親子関係の本質は変わっていないのでしょう。

心を尽くしておもてなしをしたのは、戦死した次男の妻・紀子(原節子)でした。
東京見物につきあい、一人暮らしの狭いアパートに招きます。
そこには亡き夫の写真が飾られ、老夫婦はしみじみと死んだ息子の顔を眺めます。
お酒の買い置きがないので、お隣に借りに行く紀子。
快く貸してもらい、「これもよかったら。おいしいのよ」とお惣菜まで分けてもらいます。
つましいながら、心優しく暮らす紀子の日常生活がにじみ出て、『東京物語』の中で最も心動かされるシーンです。

「妙なもんじゃ。自分が育てた子どもより、言わば他人のあんたのほうがようしてくれた」
舅の笠智衆が紀子にかけた言葉。
血縁以外に、どれだけ深い関係を築けるか。それはお金以上に貴重な人生の財産となります。


春の到来とともに、多くの外国人旅行者が日本を訪れます。カウチサーフィンのリクエストも次々と舞い込むようになりました。
コピペのリクエストには、コピペのお断りを送信しつつ、そのうち気の合う人と出会えるのではないか、期待が高まります。
4月になればフィンランドからアンネも再び来日するし、今年も愉快な春になりそうです。


親友の優春翠と根津の澤の屋旅館に一泊してみました。宿泊客のほとんどが外国人旅行者という澤の屋旅館の心のこもったおもてなしに感動。
谷中や根津を散策して、夜は時間を気にせず語り尽くしました。東京で泊まってみるのもおもしろい体験です。