ブレディみかこ『他者の靴を履く』にマーガレット・サッチャーの興味深いエピソードが出てきます。
「鉄の女」と呼ばれ冷酷なイメージの強いサッチャーですが、身近な人に対してはとても思いやりがあふれた人物だったそうです。
官邸スタッフの秘書や運転手、警備員たちはサッチャーから親しく声をかけられていました。そして、子供の病気や身内の不幸、実家の倒産などをサッチャーに告げると、できる限りの支援を申し出られたそうです。
何でも社会のせいにするイギリス国民に向かって「社会なんてものはない、あるのは個人だけ」と言い放ったサッチャー。
教育科学相時代には、財政支出削減の一環として学校で無償提供していた牛乳を廃止。男の政治家ならともかく、双子の母であるサッチャーが断行した改革に国民は大きな衝撃を受け、怒りに燃えました。
しかしサッチャーはおちつきはらって「普通の親なら子供の牛乳代ぐらい払える」と答弁。ここに彼女の優しさと冷酷さを理解する鍵があります。
サッチャーが理解できるのは、社会に文句を言う前に自分で努力して生活を向上させようとするまともな人。彼女自身、雑貨と食料品店を営む家庭に生まれ両親は裕福でも高学歴でもありませんでした。公立校からオックスフォードに進学し政界入りした叩き上です。
官邸のスタッフは運転手も秘書もそれぞれの職業の最高峰に立つ人材です。そうでなければ官邸で働く選抜に残れなかったでしょう。だからサッチャーは自分と同じタイプだと思い、心からの支援を申し出たのです。なんでも社会に頼ろうとする怠け者には情け容赦なく切り捨てたのに。
日本では世襲の政治家が多く批判もあるのですが、叩き上げならいいかというと、サッチャーのこの話を思い出して考えてしまいます。「私は死に物狂いで努力して成功したのだから、あなたもそうしなさい」と言われても凡人にはむずかしいことです。これから高齢期に突入する私は、「自分のことは自分でできるおばあさんもいるのに」という非難の目を向けられる未来を想像してしまいます。体力や能力には個人差があるし、避けられない病気や事故もあるでしょう。
トランプ大統領の再選で、J.D.ヴァンスが副大統領としてホワイトハウス入りします。
薬物中毒のシングルマザーの元に生まれ、自力でのし上がったヴァンスがどんな手腕を発揮するのか、よその国のことですが興味津々です。
スペインの教会の美しさは一代で成し遂げられたものではなく、代々の富の蓄積によるものだと思うと一概に世襲も批判できませんが、それでは社会が停滞してしまうという葛藤も感じます。