日本語教師を辞めて悠々自適の日々。
以前は、暇になると絶対に飽きると思っていました。
『ぼくたちは習慣でできている』という本には「人の自由時間は1日7時間以上あると、逆に幸福度が下がってしまう」とあります。
本業の原稿執筆は続けていますが、自宅で書いてメールで送ればいいので、通勤時間がありません。昔はめいっぱい仕事を受けて自由時間がほとんどない日々を過ごしていましたが、今は自由時間が7時間以上あります。今のところ幸福度は最大です。
ずっと「社会的に貢献しない人間は生きている意味がない」という呪縛にとらわれていましたが、さすがに還暦が近くなると、「もういいか」という気になってきます。
占い仲間の杏子さんのブログ。
杏子さんと知り合った頃は、占いは副業で、理系の資格を持った立派な仕事と占いを兼業していました。理系が苦手で試験も大嫌いな私は「なんてすごい」と思っていましたし、家庭では3人の子供を育てるという日本政府が感謝状を出してもいい存在です。
その杏子さんがこんなふうに書いています。
薬の仕事は、「長くやっていたから慣れているし」「どこに行ってもスキルは活かせるし」「人と話すのは好きだし」とずっとやっていましたが、意外と「なんとか学費を出してくれたんだからやらなきゃ」という理由が心の底にあるのは気づいていました。
木星期になったら「もういいんじゃないか。元は回収しただろう(笑)」とどうでもよくなって薬の仕事は辞めてしまいました。
杏子さんは木星期で気づきましたが、欲の深い私は木星期どころか土星期で日本語教師を始めました。働きたいのに時代のせいで専業主婦を余儀なくされた母の「女性でも社会に役立つ仕事をするべき」という呪縛にずっととらわれていたのです。ライター業だけに飽き足らず日本語教師を始めましたが、授業準備が大変でほとんど自由時間のない3年間を過ごしました。
何事にも潮時がある。政府は60代、70代でも働くことを求めているようですが、人によって潮時はそれぞれです。
日本語教師の仕事を辞めても、かつての教え子が次々と来日します。4月はドイツから、5月は香港から。来月はベルギー、再来月はロシア。日本語教師を続けていたら忙しくて対応できなかったかもしれませんが、今はじっくりと向き合えます。日本語教師の3年間で得た縁で一生楽しめそうです。
「もうがんばらなくてもいい」と肩の荷をおろしたのはいいタイミングでした。これこそ潮時だったのでしょう。
鹿児島の指宿はポケモンのイーブイの街。気ままに旅ができるのはなんてすばらしいことでしょうか。