翡翠輝子の招福日記

本業は女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)、ビジネス記事翻訳ですが、そろそろリタイア状態へ移行中。JALの「どこかにマイル」で日本各地に出没。ウラナイ8で活動しています。

グローバル人材は日本企業を選ばない

コロナで明け暮れた3年間。だらだらぼんやり過ごしてしまいましたが、それは私が60代になり仕事から徐々に引退しつつある時期に重なったから。若い世代は、こんな状況でも果敢に人生を前に進めています。

 

フィンランド人のヘンリク君が我が家にホームステイしたのは7年前。当時は18歳の高校生でした。

ヘンリク君の両親は典型的なグローバルエリートで、息子の日本留学を物見遊山でなく将来のキャリアプランにしっかり活かしてほしいという希望を持っていました。

 

bob0524.hatenablog.com

お父さんはフィンランドを代表する企業だったノキアに勤めていましたが、経営が傾きフランス系企業に転職。お母さんから渡された名刺はアメリカ系企業でした。

フィンランドは小さな国だから、国内だけでキャリアを考えてはいけません。ヘンリクの場合は、本人の希望で日本になりました」とお母さん。

「成長性を考えたら中国かインドにしておいたほうがいいのでは」という言葉をぐっと飲みこみました。

 

その後、ヘンリク君は大学に入り兵役も務め、交換留学生として2019年から半年間、京都工芸繊維大学で学びました。

2019年の秋、大学を案内してもらいました。「このとき、もう彼女と付き合っていたんだけど、言わなくてごめん」とのことですが、別にリアルタイムで報告してくれなくてもいいから。

コロナが蔓延する直前に無事に帰国。フィンランドに帰国後、大学院に進み、そろそろ就職の時期。専攻は情報工学です。

漠然とフィンランドに進出する日本企業に就職したらいいのにと願っていました。留学経験が活かせるし、東京に出張する機会もあるだろうから。

 

ヘンリク君から台湾企業に入社したと報告がありました。

京都工芸繊維大学の留学生仲間だった台湾人の女の子と付き合うようになり、現在、台北の士林で一緒に住んでいるそうです。メールにはワイフじゃなくてガールフレンドとあるので、正式な結婚は様子を見てからなんでしょう。

台湾人の彼女も日本に留学するぐらいだから日本好きなんでしょう。日本を選んだからこそ彼女に出会い、台湾企業に就職。そう考えると、ヘンリク君の日本留学が彼の人生の流れを決めたのです。

 

日本企業では給与の面でとても満足できないでしょう。何しろ30年間所得が上がっていない上に、このところの円安です。台湾の半導体メーカーが熊本に進出し、あまりの好待遇に九州ではIT技術者の争奪戦が起こっているとか。

台湾の天才プログラマー、オードリー・タンは35歳でデジタル担当の閣僚に就任。そういう大胆な人事ができる国です。対して日本のサイバーセキュリティ担当大臣は「パソコンは使わない」「USBってなんですか?」の発言で世界から失笑されました。そんな国のIT企業に外国人が就職したいと思うでしょうか。

そして、ネットでJTC(ジャパニーズ・トラディショナル・カンパニー)と揶揄される伝統的な日本企業の文化に外国人社員がなじむのはむずかしいでしょう。

 

ともかく、心は台湾へ向かっています! 

ヘンリク君はそのうちヨーロッパ支社で働くようになるかもしれないから、その前に台北に行って再会しなくては! ガールフレンドにもぜひ会ってみたいけれど、あまりぐいぐい行くと、姑ぽくて嫌われるかも。

 

士林といえば夜市。調子に乗って飲み過ぎて転倒し、前歯を折るという流血の惨事がありました。かかりつけの歯科医からは「折った歯を持ち帰ったら使えたのに」と言われましたが、私の歯の一片は今も士林にあると思えば、また行きたくなります。

bob0524.hatenablog.com

 

台湾では共稼ぎが多く、都会の家のキッチンは小さいので、平日の夕食は夜市で買って済ませることが多いと聞きました。コロナ後はこういうむきだしの陳列も変わっていることでしょう。

死者と歩く

寒い日が続きますが、春に向けての計画を立てています。

3月に熊野古道を歩くことにしました。スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼に匹敵するのは四国遍路だと思っていたのですが、熊野古道が姉妹道となっていました。共通の巡礼手帳も発行されており、海外からの巡礼者を積極的に受け入れているようです。

スペインには行けるかどうかわかりませんが、和歌山なら羽田から南紀白浜空港へ直行便があります。

 

春分の日に出発することにしました。本来なら、実家の仏壇に手を合わせたりお墓参りをするべきなのでしょうが、私なりの供養が巡礼です。

bob0524.hatenablog.com

 

森知子さんのスペイン巡礼体験記の続編にも、死者の供養のために歩く話が出てきます。

 

森知子さんが再び巡礼路を歩いてみようと思ったきっかけは、お母さんとの死別です。四十九日が済んだところで「一周忌には戻ります」とお父さんに告げて旅立ちます。

「カミーノを歩いて、気がすむまで泣けば旅がきちんと終わるんじゃないか」

何種類もある巡礼路のうち、選んだのはバスク地方から海沿いを44日間1000キロ歩く「北の道」。季節は巡礼者が滅多に歩かない11月。寒くて雨ばかり降るハードな道のりですが、最愛の母の死を受け入れるにはそうせざるを得なかったのでしょう。

この時、森さんは韓国人の青年と出会います。青年の背には1メートルの長さの木の十字架。

青年は高校教師で、セウォル号沈没事故の生存者でした。同じ船に乗って亡くなった生徒たちのためにわざわざ冬の過酷な時期に十字架を背負って歩いていたのです。

引率の教師という立場なら、いっそ亡くなったほうが楽だったかも。学生の親と対峙するのも修羅場だっただろうし。

 

その後、森さんはボランティアとして巡礼宿で働き始めます。ボランティア仲間に50代のスペイン人男性がいて、それまでに19回も巡礼路を歩いているとのこと。なぜそんなに歩いているかを、本人ではなくルームメイトから聞かされます。

15年前に、息子さん(当時19歳)を交通事故で亡くしているから。親にとって子供に先立たれることほどつらいものはないでしょう。しかも、人生これからという19歳で。

 

こうした話を読むと、天寿を全うした両親のために歩くのはそれほど切実な動機ではないような気がしてきますが、とにかく歩いてみたい。

どれだけ長く歩いたからといって世界が変わるわけではなりません。それでも死者のために人は歩くのであり、私もその列に加わることにします。

 

2019年秋のスペインでは快晴の日々が続き、何もかも美しく感じました。

お彼岸の熊野古道、飛行機や宿の手配があるので、天気予報を見て決めるわけにいきません。とりあえず一歩踏み出します。

引き算の料理

旅に出ると、書き残しておきたいことが次々と出てきます。旅先も楽しいけれど、こうして文章にまとめるのも、心が満たされるひとときです。

 

というわけで、沖縄の話ばかり続きます。

沖縄料理というと、豚肉やステーキのイメージが強いのですが、健康食の一面もあります。アメリカナイズされた食生活が浸透する前は、沖縄は長寿県として知られていました。

 

スライスした豚の角煮や骨付き肉(ソーキ)をトッピングすることが多い沖縄そばですが、探せば肉抜きのそばもあります。

名護バスターミナル近くの食堂で食べた昆布そば。

これでもかとばかり昆布がのり、ネギが少々という潔いスタイルです。

テーブルには薬味の紅ショウガやコーレーグス島唐辛子を漬けたもの)も用意されていますが、私は滋味たっぷりのやわらかな味わいのスープで最後まで食べるのが好きです。昆布とかつおの組合せを考えた人に感謝しながら。

 

そして、ゆし豆腐そばを食べたのは、国際通りに最近オープンした「いつでも朝ごはん」。ボリュームたっぷりの沖縄料理に疲れたら立ち寄りたい店。朝7時から19時の閉店まで、一日中朝ごはんメニューが食べられます。

 

 

孤独のグルメ』の「こういうのでいいんだよ」という台詞を思い出しました。お店でさえこうなんだから、家で食べるのは、彩りや栄養バランスなんて考える必要なんてないのでは。育ち盛りの子どもでなければ、食べ過ぎないよう粗食を心がけるべきだし。

 

フィンランド人の家庭料理もシンプルです。

10年前、カウチサーフィンで泊めてもらった編集者の一家。「観光じゃなくて、フィンランド人の日常生活を体験したい」とリクエストしていました。

共働きで、食品の買い物は週に一度、土曜日の午前中のみ。夫婦の買い物に同行させてもらい、帰宅すると高校生のお嬢さんがランチを用意してくれていました。冷蔵庫にあるものを使ったリゾットで、庫内はほぼ空になっていました。

bob0524.hatenablog.com

あんなふうにすっきりした暮らしを送りたいものだとずっと思っているのですが、東京は便利すぎます。徒歩圏にスーパーマーケットやコンビニが乱立し、計画的な買い物をする必要がありません。

それでも、定番商品は在庫管理してネットスーパーに頼んでいます。生鮮食品はそのつど買っていますが、あれもこれもとメニューを増やさず、メインの料理さえあればそれでいいと割り切るべきでしょう。終活の一環として、衣食住すべてを徐々に引き算していくつもりです。

沖縄のチャンプルーと猫

沖縄は「チャンプルー文化」だとよくいわれます。

ゴーヤチャンプルーのチャンプルーで「混ぜる」という意味。季節の食材と卵、豆腐やそうめん、麩などを炒めた料理の総称です。

琉球王国時代には中国、朝鮮、東南アジアとの交易が盛んで、さまざまな文化が融合。戦後はアメリカの影響も強く受けています。福州園や識名園などの中国風の庭園や、まるでアメリカのような北谷の街並み。道には魔よけの石敢當(いしがんどう)、家の門にはシーサー。多種多彩な文化の融合が沖縄の魅力です。

 

というわけで、旅のプランもチャンプルーにして、やんばるのコワーキングスペース併設の宿の翌日は、恩納村シェラトン沖縄サンマリナベイへ。最も好きなホテルチェーンはドーミーインという安上がり体質ですが、たまにはリゾート気分にひたってみることにしたのです。

 

海が見えるバルコニーでオリオンビール缶を飲みました。

 

ホテルでランチでも食べようかと思ったのですが、メニューを見るとちょっとためらうお値段。前回はお手軽なランチがあったはずなのに。

 

過去のブログをさかのぼってみると、前回の滞在は2017年6月。ホテルのアクティビティでシュノーケリングを体験しました。当時のレートは1ドルが110円前後。外資系のホテルは日本円だと何もかも割高に感じるのかもしれません。

bob0524.hatenablog.com

 

チェックインの際、となりのカウンターから「国際通りに夕食を食べに行きたい」という相談が聞こえてきました。英語の感じからしアメリカ人客でしょう。

わざわざ恩納村から国際通りへ? しかもタクシーで。片道1時間って言われているのに、ノープロブレム!? 往復したらタクシー代だけで2万円近くかかるのでは。このホテル、こういう層の客を相手にしているんだなと感じた一瞬でした。

 

ハワイの物価がとんでもなく高いとニュースでよく目にしましたが、沖縄も外国人相手のビジネスはハワイの水準に近づいているのでしょう。海の美しさではハワイに引けを取らないし、治安のよさとサービスの質の高さを考えると、今後、世界中から沖縄に観光客が押し寄せるかもかもしれません。

 

日本人にとって沖縄は高嶺の花となるのかと悲観しましたが、最終日の那覇でそんな心配は吹き飛びました。

 

ハイアットリージェンシー沖縄のすぐ近くに、いかにも「チャンプルー」な建物が。

f:id:bob0524:20230114142652j:image

茶店にうなぎ、ステーキ、居酒屋、ミュージックバー。どの店に入ってもディープな沖縄体験ができそうです。ミュージックバー、女性飲み放題1500円~に大いに惹かれましたが、営業時間は21時から。

 

ぶらぶらと街歩きして国際通りの真ん中にある「てんぶす那覇」へ。琉球ガラスや陶芸、織物、舞踊などの伝統文化を発信する施設です。

 

f:id:bob0524:20230115123432j:image

のんびりと日向ぼっこしていた猫。職員の方によると、かなりのおばあちゃん猫だそうです。人懐こくて、たっぷり触らせてもらいました。工芸館にふさわしく、布製の凝った首輪をしています。

室内に目をやると、機織りしている人の横で寝そべっている猫も。ここは一応、市の施設なのでは? なんと自由なこと。

これが沖縄なんだと改めて感じ入りました。こうした自由な空気に触れたいから、何度も沖縄に来たくなるのです。

やんばるの夜と朝

成人の日の連休明け、旅行料金がぐっと安くなるタイミングで沖縄に出かけました。天気がよく、春を通り越して初夏の陽気。Tシャツで歩く人もいました。同じ日に北海道の雪のニュースを見て、日本は広いと実感しました。

 

今回は、やんばる(沖縄本島北部)まで足を伸ばしました。NHK朝ドラ『ちむどんどん』の舞台です。こう書くと『ちむどんどん』の大ファンみたいですが、あまりにも無理のある展開をどう終結させるのか、いじわるな好奇心から見続けました。

bob0524.hatenablog.com

 

『ちむどんどん』の登場人物たちは、やんばると銀座、鶴見をこともなげに行ったり来たりしていましたが、現実世界ではかなり大変。羽田から那覇に飛んでまず一泊。翌朝、那覇バスターミナルから高速バスで名護へ。名護で昼食をとり、辺土名線に乗り換えてやんばるへ。

宿は旅のサブスク、ハフで予約。コワーキングプレース、食堂を備えた施設です。隣近所から離れた、ぽつんと一軒家。元々は木のおもちゃ工房だったそうで、木がふんだんに使われています。

 

コワーキングプレース。やんばるの森を見ながら仕事ができます。

とても雰囲気のいい空間なのですが、海が近く建物の維持管理は大変そう。この窓は素敵ですが、台風のときはどうするのでしょうか。白アリの被害もあるそうです。こういう話を聞くと、ずぼらな私は別荘なんて買ったら大変だと思います。その都度、宿泊料を払ってきれいに保たれた部屋に泊まるのが楽でいい。この宿はハフを使ったから3000円足らずで泊まれたし。

 

夕食は食堂でと思っていたのですが、居酒屋営業はやめてしまったとのこと。1時間に1本のバスで道の駅・国頭(くにがみ)に行き、近くのコンビニで食料と飲み物を調達しました。

 

この日は他の宿泊客はなく、オーナーやコワーキングプレースの管理の方も帰ってしまうので、心配なら入口の鍵もかけていいと言われました。こんなところにわざわざ押し入ってくる賊もいないでしょうけど。

夜、空を見上げると満天の星。近眼の私にもはっきり見えるほど星が輝いていました。人工の灯りがないと、星が身近に感じられます。

 

翌朝、徒歩15分の喜如嘉(きじょか)共同売店へ。『ちむどんどん』にも出てきましたが、共同売店は地域住民が出資して運営する沖縄特有の店です。車が普及していなかった時代、生活必需品を揃えた共同売店は貴重なライフラインであり、金融機関として融資や学費の貸付も行っていたそうです。

お弁当も売っていたので、昨日の夕食はここで買えばよかったと思いました。沖縄のコンビニのスパムおにぎりやタコライス海苔巻きもおいしいかったから、それはそれでよかったのですが。

 

やんばる特産のお茶を買い、レジの女性に「お店の写真を撮ってもいいですか」と聞いてみると、「ええ、どうぞ。この地域で運営している店ですから」と誇らしげな答えが返ってきました。

冬がこんなに温かいし、スギ花粉も飛んでこなくて、海と森の自然が身近。道を歩いていると、地元の女性から「風が強いですね」と声をかけられました。よそ者にもオープンな土地柄のようです。

『ちむどんどん』のヒロインは、いきなり思い立って東京に出て、最終的にはやんばるに戻ります。私がこんな楽園のような場所で生まれたなら、ずっと暮らし続けるだろうと想像しましたが、故郷のすばらしさを実感するためには、一度離れてみる必要があるのかもしれません。