翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

長生きが喜ばれない時代

組織に属さずフリーランスで30年以上働き、子供を持たなかったので、加齢の感覚が世間とずれています。斜陽の雑誌業界には若いライターが参入してこないのか、引退を申し出ても後任が見つからないという理由で続いている仕事もあり、高齢者の自覚がなかなか持てません。

 

そんなふわふわした状態に一撃を与えたのが、酒井順子の『消費される階級』。超高齢化社会のおばあさん格差という章です。

「高齢になってからの幸福感の高低には、お金以外の様々な要因が関係している」とあります。

たとえば健康。年をとるとお金と健康の価値はほとんど変わらなくなるそうです。老後資金を増やしたり、節約を心がけてお金を減らさないようにできても、人体の耐用年数を伸ばすことはできません。日本女性の健康寿命は75.38歳。平均寿命は87.45歳ですから12年ほど体が不自由な状態で生きることになります。健康寿命を少しでも伸ばすようにせっせとスポーツクラブに通っているのですが、効果には個人差があるでしょう。

 

しかし、いくら健康に気を付けて元気なおばあさんになったとしても、すべてが解決するわけではありません。「長く生き過ぎてしまった」と嘆くゴージャスな高齢者施設で暮らす90代半ばの女性の話に考えさせられました。

経済的不安もなく、寝たきりでも認知症でもなく、子孫にも恵まれている「全てを持つ高齢者」でありながら、施設の入居者とはあまり話が合わず、食事にも飽きた。刺激がない日々をただ生きているだけ。「長く生きるのも考えものよ」という彼女。

一方、酒井順子の母親は69歳で突然倒れ翌日に死亡。当時、母の友人たちは「70にもなっていないのに、かわいそう」と言っていましたが、5年もたつと「あなたのお母さま、幸せだったと思うわ。老いるってことを本当には知らないうちにいなくなるなんて最高よ」となり、さらに時がたつと「子供に迷惑をかけずに逝けるなんて、なんて幸せ者なの!」となったそうです。

 

60代半ばの私が明日死んだら「若いのに気の毒」と思われるでしょう。しかし、そのまま年を重ねて80代、90代になったとすると、社会に迷惑をかける存在に。高齢者の医療や介護負担が重くのしかかる日本で老いていくのは相当ハードなことになるでしょう。むしろ明日死ねば「亡くなる直前まであちこち出歩いて、ヒップホップも踊っていた」とうらやましいと思う人がいるかも。

 

スペイン巡礼ではベッドがずらりと並ぶ巡礼宿で熟睡していましたが、ずっと暮らすとなると個室が望ましい。この春に滞在した那覇のホテルで「老後の施設もこんな部屋だったらいいのに」と思いました細かい活字は読めなくなっているだろうから、大型タブレットを置く机とベッドさえあればいい。高齢者が増えすぎると、施設は長い順番待ちで待っているあいだに死んだりして。あくまで理想は、なんとか自分の家で暮らし続けることですが。

ロビー・ロバートソンの晩節

田舎の女子高校生だった私に広い世界を垣間見せてくれたのが、ボブ・ディランザ・バンド。無味乾燥な教科書の英語には興味が持てませんでしたが、彼らの曲の意味が知りたくて英語を学びました。

 

ボブ・ディランは元気そうですが、ザ・バンドの5人のメンバーは4人が亡くなっています。とりわけ悲しかったのが昨年のロビー・ロバートソンの死です。

ザ・バンドのファンにはロビーを嫌う人がいます。ロビー以外はザ・バンドの存続を望んでいたのに、無理やり解散に持ち込んだから。ミュージシャンである以上にビジネスセンスに恵まれたロビーは、ツアーを続けていけば破滅が待ち受けると知っていたのです。メンバーの中で最も繊細だったリチャードは自死、リックはアルコールとドラッグの乱用でくぶく太り、ある冬の朝に突然死しています。

堅実派のリヴォンは2012年に病死。亡くなる前にロビーと和解したというニュースにほっとしました。

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ロビーは自堕落なミュージシャンのたまり場となっていたウッドストックから西海岸のマリブに移住。愛する妻と子どもを育て、音楽プロデューサーとして堅実に生きていたと思っていたのですが、死後に意外なニュースが入ってきました。

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たしか奥さんのドミニクとは、ボブ・ディランのヨーロッパツアーのバックバンドとしてパリに行ったときに劇的な出会いから結婚に至ったはず。子どもにも恵まれ、妻子を守るためにザ・バンドを解散したのに、離婚していたとは!

しかも再婚相手は後妻業の女? 鎮痛剤で朦朧としていたロビーに結婚を強要し、ビバリーヒルズにある600万ドルの豪邸の所有権を後妻に与える書類に署名させたとか。

実家の一族にも後妻業の女にひっかかったり、ひそかに公正証書を作り子どものいない伯母の遺産を総取りするなど、とんでもない話を聞きます。ロビーほどのやり手でも、こんな晩節を迎えるなんて。年を取ると判断力も鈍るから、終活は早ければ早いほどいいと思います。特にお金関係は死後に禍根を残さないように、公正証書を作っておくべきでしょう。

 


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ロビーの手腕により、ザ・バンドの解散コンサートはボブ・ディランを筆頭にリンゴ・スターロン・ウッドニール・ヤングジョニ・ミッチェルなど70年代の錚々たるスターが集結。マーティン・スコセッシが映画化し不朽の名作となっています。ボブ・ディランヴァン・モリソンと歌っているのがロビー・ロバートソンです。曲の後にボビーのセリフのシーンがあり、「偉大なミュージシャンは早死にする」と、ハンク・ウィリアムスジャニス・ジョプリン、ジミー・ヘンドリックス、エルビスなどの名前を挙げ「そんな人生を送るのは不可能だ」と解散の説明をしています。

 

旭川の買物広場は駅前から続く広い道。サキソフォンと猫の彫像に心なごみます。音楽は心を満たすものですが、ロックンローラーは過激化しておだやかな死を迎えるのがむずかしいのでしょうか。

旅も人生もバッファが必要

スペイン巡礼の体験記で「何日までにゴールしなくてはいけない」と苦しそうな表現を見かけることがあります。限られた休暇で歩くとなると、そうなるとしかたがないでしょう。

昨年秋の巡礼は、いたって気楽でした。体の調子に合わせてゆっくり歩けたから。最初の1週間は宿を予約していたところ、フィンエアーの思わぬアクシデントにより成田空港を24時間遅れの出発に。ゆとりのあるスケジュールだったので帳尻を合わせることができたのです。

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IT業界で使われるバッファ(buffer)という言葉。一時的にデータを蓄えておくメモリーを指し、一般的にはゆとりや余裕という意味です。旅も人生もバッファがないと行き詰ります。ぎっしりスケジュールが詰め込まれた旅や、締め切りに無理やり合わせる仕事は心身をすり減らします。

 

それなのに、二度目のスペイン巡礼は100キロほどしか歩かないということで、あまりゆとりのない日程。体が慣れないうちに一日20キロ以上歩き続けて、足が疲れてタクシーを呼んでもらう始末でした。

極めつけは帰国便。マドリード・フランクフルト・成田のルートを選びました。帰国の途ではできるだけ早く日本に戻りたいので乗り継ぎ時間の少ない便を予約したのです。ところがスケジュールが変わり、フランクフルトでの乗り継ぎ時間が45分に短縮されました。けっこう厳しそうですが、ネットで体験談を読むとJALで通しのチケットを購入しているので何とかなるとのこと。国内線の乗り継ぎでは、時間が押してくると地上係員が降機場所に待機して誘導してくれますが、国際線でも同じらしい。もし乗れなかったら、他社の便かホテルを手配してくれるそうです。

実際にフランクフルトに到着すると、まずパスポート・コントロール。日本人で帰国のための乗り継ぎだと申告すると問題なく通れましたが、かなりの行列だったので時間がかかりました。JAL職員を探しましたが、どこにもいません。日本行のJAL便の搭乗口を探して向かったのですが、EU圏内から国際線への乗り換えなのでいったんゲートを出て再入場するしなかなく、迷うことばかり。この時点でボーディングタイムは過ぎていたので、半分はあきらめつつ搭乗口を目指しました。

ここでようやく私の名前を呼ぶJAL職員と遭遇。ああ、助かった。いつもの降機場所で待っていたけれど、今日は違う場所だったので会えなかったと説明されました。そんなことを言われても、乗客側に知る由はありません。長谷川岳だったら逆上して一気にカスハラに走るでしょうが、ともかく予定した便に乗るのが先決です。それに日本のJAL職員と違って淡々とした応対だし、クレームをつけるほうがおかしいという気になりました。結局、職員と合流して搭乗予定の飛行機に向かっているのですから。

最後の乗客として搭乗しましたが、他の乗客からのブーイングはありませんでした。機長のアナウンスによると、フランクフルト空港も混雑して、なかなか離陸の順番が回ってこないとのこと。乗り継ぎ客が多少遅れても問題はなかったのです。

 

しかし、こういう綱渡りのようなスケジュールはもう組まないと誓いました。心のエネルギーを消耗するし、いい年をしてあたふたと空港内を走るはみっともないし。多忙なビジネスマンでもあるまいし、時間を節約する必要なんてまったくないのですから。

 

昨年の巡礼では、猫に行く手をはばまれました。時間を気にせず猫と遊べる旅程で本当によかった。交通機関が発達している現代社会であえて歩いて巡礼を選ぶような人間が移動効率を考えるほうがおかしいのです。

八戸で不耕貪食(ふこうどんしょく)を恥じる

JALの「どこかにマイル」で旅に出ることが多いので、セールがあると「どこかにマイル」になかなか出ない空港に飛びたくなります。

 

今回選んだのは、三沢空港。行きも帰りも満席でした。訪日客より日本慣れした印象の外国人乗客が多く、米軍関係者が休日を東京で過ごすために利用しているのだろうと想像しました。

 

滞在地は八戸。三沢空港から路線バスが出ています。青森というと津軽のイメージが強いのですが、八戸は南部藩で文化や風土は岩手のほうが近いそうです。

地方都市によくあるパターンで、八戸はJR駅と街の中心部が離れているのですが、空港バスは繁華街が終点でした。うれしいことにドーミーインがあり、大浴場は最上階。このところ温泉に行くことが多かったのですが、サウナと水風呂、外気浴の三点セットが満喫できる最高の環境でした。

そして、八戸の街も少し歩いただけで大好きになりました。全国展開のチェーン店もありますが、地元のお店も多く、飲み屋街の充実していること! 街歩きが楽しいのは、中心部に八戸ポータルミュージアム(はっち)と八戸まちなか広場(まちにわ)というスペースがあり、誰でも自由に出入りでき一休みできるのです。

 

6月だったので、両館ともに傘をテーマにした展示。広々とした吹き抜けに色とりどりの傘が映えます。

 

さらに地酒「八鶴」「如空」の八戸酒類株式会社の蔵元直売所も街の中心部にあります。大正時代に建築されたモダンな建物で、試飲や角打ちも楽しめます。

ゆったりした窓際の席で味わう地酒。ここの接客がすばらしいの一言でした。珍しいお酒を求めて来た客、知人のお祝いに贈るお酒の相談に来た客との親切なやりとり。その合間に季節限定のお酒の試飲カップが次々と運ばれ、お勧めの居酒屋のメモまで渡してくれました。直売所だから自社製品のアピールが目的でしょうが、それ以上に八戸のよさを知ってほしいという熱意が感じられました。

 

すっかりいい気分になり、お隣の安藤昌益(あんどうしょうえき)資料館へ。八戸酒類株式会社が倉の一つを提供してできて施設です。

江戸中期の医者で、飢饉で餓死する農民をよそに裕福な暮らしを続ける武士を見て「人は何万人いようとも一人一人が自由平等である」というラディカルな思想を主張。自然と人間が調和する社会を提唱し、世界初のエコロジストとも呼ばれています。1950年にGHQハーバート・ノーマンが『忘れられた思想家ー安藤昌益のこと』を岩波新書で発表しベストセラーとなり脚光を浴びました。

資料館に貼られている安藤昌益の言葉の一つが「不耕貪食(ふこうどんしょく)」。自ら生産活動をせず、他人が働いた成果を盗み取っていることで、まさに今の私のことだと恥ずかしくなりました。

無念のうちにこの世を去った人々に思いを馳せる

「妊娠したら、街を歩いてて小さな子どもがよく目につくようになった」という話がありますが、何かのきっかけで普段あまり意識していなかったことが急にクローズアップされることがあります。

映画『関心領域』を観たことで、欧米の著者による本を読んでいると、いきなりホロコーストの話題が出てきてぎょっとしたことなどを思い出しました。

 

たとえば片づけの本だと思って読み始めたら、著者の両親がユダヤ強制収容所の生き残りだったとか。

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最近ではオリバー・バークマンの『限りある時間の使い方』。

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オリバー・バークマンはイギリスとアメリカで活躍するジャーナリスト。

彼が育ったのは、先の先まで計画を立て成り行きまかせで行動するとパニックになるという家庭。旅行するなら4か月前に飛行機とホテルを確保し、早めに家を出て駅や空港で長く待つのが習慣でした。

 

というのも父方の祖母はユダヤ人で、1933年にヒトラーが政権を握ったときにベルリンに住んでいました。なんとかハンブルクからイギリス行きの船に乗れましたが、逃げ遅れた家族はのちに収容所で命を落とすことになったのです。

以来、「早めに計画して動かなければ最悪なことが起こる」が家訓となったのです。

 

しかし、これは極端な例で、未来のすべてを計画通りにしようとしても不測の事態は起こりえるので、人生を過度にコントロールしようとするなという教えが続きます。どんなに心配して準備しても、防げないこともあるのです。

ヒトラーの時代のヨーロッパ大陸に暮らすユダヤ人ならぐずぐずしている暇はありませんが、平和な時代に生まれて急ぐ必要がないことをしみじみありがたいと思います。

 

そして、長崎の旅ではコルベ神父の記念館を知りました。

コルベ神父は戦前の日本で伝道していたユダヤ系のポーランド人神父です。

ポーランドに帰国後、ゲシュタポに逮捕されアウシュビッツに送られました。宗教も決して聖域ではなかったのです。

収容所から脱走者が出たことで懲罰として無作為に選ばれた囚人が餓死刑に処せられることになりました。選ばれた囚人のうちの一人が「私には妻子がいる」と泣き出し、コルベ神父が進み出て「私はもう若くないし、カトリック司祭で妻も子もいません」と身代わりになりました。若くないといってもコルベ神父は47歳。今の感覚ではとても理解できない極限状況です。

助けられた男性は収容所を生き延びました。悩み苦しんで沈黙を守った後、各地でコルベ神父についての講演活動を行って93歳で天寿を全うしたそうです。

 

老いを自覚して、限りある時間を意識するという贅沢が許されず、無念のうちにこの世を去った人々の歴史の延長線上に現在があります。