翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌やビジネス誌の原稿書きを30年。現在はリタイア生活へ移行中。2023年秋、スペイン巡礼(フランス人の道)。2025年夏、ガルシア=マルケスの作品舞台となった地を一目見たくてコロンビアへ。ウラナイ8https://uranai8.jp/で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。おかげさまで四刷になりました。

静岡で国の光を観る

夫と浜松に行くことになり、私だけ先に静岡で二泊。熱海や伊豆、箱根の温泉にはよく行きますが、静岡や浜松は新幹線で素通りすることが多いので、この機会に街を味わってみようと考えたのです。観光スポット巡りより、地元の人々の日常生活を垣間見るのが好きです。

 

駅から近いビジネスホテルを適当に選んだのですが、これが大正解。変わった間取りで、デスク回りとベッドが壁で隔たれていて、いかにも集中できそうなスペースになっています。

 

壁を隔ててベッド。浴室には大きめのバスタブがあります。

ワーケーションには最適な間取り。今は仕事をしていないけれど、本を読んだり考えをまとめるにはぴったりな部屋です。この部屋に泊まりたいから、また静岡に来たいぐらいです。ホテルのスタッフに聞くと、このタイプの部屋は1フロアに1つしかないそうで、次に予約する時は指定しなくては。

 

世の中には五つ星のラグジュアリーホテルが好きな人もいますが、広くて豪華な部屋は借りてきた猫状態になって、あまりくつろげません。そして、「この一泊分で普通のビジネスホテルに何泊できるんだろう」と考えてしまう貧乏性です。

 

駅近くのビルの3階に静岡市美術館があり「スウェーデンのうつわ グスタフスベリのある暮らし」展をやっていました。グスタフスベリはスウェーデンを代表する食器メーカーで、フィンランドのイッタラやアラビアのような存在でしょう。

 

おもしろかったのが「フィーカ」のカップの展示。スウェーデン語でコーヒーを意味する「Kaffi」の音節を逆にした「fika」のがフィーカ。女性たちがコーヒーを飲みながら人と過ごしてリラックスする時間のことです。

カップが7種類あるのは、焼き菓子を7種用意する習慣にちなんだもの。6種類では質素、8種類では見栄っ張り。7がちょうどいいとのことですが、どの国でも女性の集まりはちょっと面倒くさい部分があります。

日本語学校で教えていた頃は、北欧の学生も多くて、デンマーク人の「ヒュッゲ」「ヤンデの掟」、フィンランド人の「シス」など教師の私の方が教わることばかりだったのを思い出しました。

 

ランチはスープパスタの「ズッパ」へ。

野菜とハーブを煮込んだスープのパスタ。南イタリアの料理だそうです。

意外と男性客が多かったのですが、パスタを食べ終わったら無料のご飯をもらってリゾット風に食べることができるから。私はパスタとスープだけでおなか一杯になりました。

 

そして、静岡市に来た目的の一つは静岡県庁。「国の光を観る」計画の一端です。

「観光」の語源は「国の光を観る」。出典は易経「風地観」です。

よき為政者の国は明るい光に満ちています。光の状態を見れば、その国がどう統治されているかわかるという意味です。

入札により民間業者に委託される官公庁の食堂。官と民の関係がうまくいっていれば、おいしくてサービスもよく、メニューに工夫もあるはず。食堂の状態から、その地の行政の一端を垣間見ようという計画です。

沖縄県庁の食堂がなくなって、代わりに那覇市役所に行ったみたのですが、弱者に寄り添う場所として機能しているようで沖縄の厳しい経済状況がうかがえました。

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ランチを済ませていたので、県庁内のカフェへ。障害者が働いています。

私が住む区の区役所の1階にも障害者雇用団体が運営しているカフェがあります。

空いていたのでゆっくりコーヒーを飲んでいると、指導する立場らしい方がゆっくりと食材や食器の収納をスタッフと一緒に確認する声が聞こえてきました。民間のお店では働くのがむずかしい人も、こういう場所があれば社会とつながることができます。

 

そこに人が暮らしているというリアルな実感が得られたら、それが私にとっての旅になります。遠い外国にも行ってみたいけれど、隣の街であっても、見知らぬ人々がそれぞれの生活を営んでいるのを垣間見ることができれば、それで満足。しっかり「国の光」を観たという満足感が得られます。

 

目は節穴、耳は空耳、口を開けば災いの元

旅先で忘れ物ばかりして、そろそろ認知症の心配をしなくてはなりません。

若い時には考えられなような失敗も多く、「高値覚え」という相場用語を連想しました。過去にその株が到達した高値が頭にこびりついて、株価が下がっても「きっと戻るはず」と思い込むこと。損切りができず、塩漬けになった株を持ち続けることになります。

相場に限らず、誰しもが陥りやすい心理ではないでしょうか。

たとえば若い頃に異性から引く手あまただった女性がいわゆる適齢期を過ぎて結婚相談所に入って、紹介されるお相手のスペックが自分に合っていないと憤慨する。あるいは大手企業の管理職でプロジェクトを仕切ってきた男性が定年後も肩書を引きずっている。こういうのも一種の高値覚えです。

 

私の場合はなまじ病気知らずで生きてきたために「肉体の高値覚え」。体中にガタがきていることを認めるのに苦労しています。ボブ・ディランは「いつまでも若く」と歌っていますが、それは精神の話であって肉体的には夢物語。東洋占術では60年で干支が一回りして還暦を迎えますが、それは体の耐用年数が60年だからではないでしょうか。

 

パソコンに向かってばかりいたのでかなりの近眼ですが、手元だけにピントが合えばいいので裸眼で過ごしています。眼鏡を使うのは映画館と書店ぐらい。外出先では注意書きなどを見落として失敗することがよくあります。時間にゆとりがなくてあせっているときは、見落としがさらに多くなりがち。ぎりぎりで動くことのないように、早めの行動を心がけています。

 

耳はまだ大丈夫だと思うのですが、これから聞き間違いや聞き取れないことが多くなるでしょう。そして、若い頃から失言が多くて年を取ったら少しはましになるかと期待していたのですが、あいかわらず言わなくていいことを口走ってしまいがちです。この三つをまとめて「目は節穴、耳は空耳、口を開けば災いの元」と唱えています。

 

目、耳、口に付け加えるのなら「足はよろよろ」。私が最も恐れているのは転倒です。

スペイン巡礼で山道には気を付けていたのですが、何でもない街中で盛大に転んで顎を打ちました。終盤に差しかかってすっかり油断し、日本に帰ったらどの順番で温泉に行くかを夢想して足元がすっかりおろそかになっていたからです。

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以来、歩く時は足元だけに集中するように心がけています。歩きスマホは厳禁。マップ確認やPokémonGoは必ず立ち止まって安全な場所で。スペインでの転倒は痛かったけれど、貴重な教訓となりました。

 

バンコクで参加したウォーキングメディテーションも折に触れて思い出しています。

「足を持ち上げる、動かす、着地(lifting, moving, threding)」と唱えながら足と地表だけに集中して歩けば転ぶことはないでしょう。あれからもう7年もたっていますが、師の教えは鮮明に覚えています。

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稚内はJR最北端の終点。人生は山手線のようにぐるぐる回っているのではなく、遅かれ早かれ必ず終わりを迎えます。自分の足で歩けるうちは、気を付けながら楽しい気持ちで歩きたいものです。

 

またやってしまった!

元湯橋本屋に3泊して、ダンスレッスンによる腰痛もすっかり軽くなりました。

夜の入浴のためにノンアルコールビールで酒を断ち、こんなに健康的に過ごせるのならもっと長く滞在したいところですが、また一人用の部屋が空いていたら予約すればいいのです。

 

最初に泊まった時、部屋の鍵を家まで持ち帰ってしまうという大失敗をしでかしています。

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同じ失敗を繰り返さないように、鍵は絶対に返す。そう念じてチェックアウトしました。駅まで20分足らずのの距離なので歩いていくつもりでしたが、朝からセミが鳴いている暑い日です。ご主人が下部温泉駅まで送っていただきました。

 

駅に着いてバッグからスマホを出そうとしたら、どこにもない! 最後に充電しておこうとコンセントにつないでそのまま出てしまったのです。なんて間抜けなんだ! 一つに集中すると他を忘れる鳥の頭。とりあえず戻るしかないので、歩いて向かいました。

「涼しくなったらまた来ますね」と、にこやかに挨拶して別れた女将さんと20分後に再会。「電話してくださったらお届けしたのに」とおっしゃいますが、その電話を忘れていたんですと二人で大笑い。9時48分発の特急ふじかわをあきらめていたのですが、女将さんは「今から行けば間に合います」と車のキーを取り出します。二度も送っていただくなんて申し訳ないのですが、ご好意に甘えて予定通り特急ふじかわに乗れました。

 

一度ならず二度の失敗で、とんでもなく間抜けな人と記憶されたでしょうが、あのお湯のすばらしさが忘れられないので恥ずかしいけれどまた行きます。

 

3年前にスペイン巡礼でフランス人の道を歩いた時は忘れ物をすると致命的なので、忘れ物チェッカーをバックパックに付けて毎朝出発前に確認していました。

こういうのです。

洗濯して干したままの服や洗面道具は忘れても買い直すことができますが、パスポート、スマホ、クレジットカード、財布に加えてクルデンシャル(巡礼証明書)も絶対に忘れるわけにはいきません。毎朝、忘れ物チェッカーを右から左に動かすことで「準備万端。よし、今日も歩こう」と気合を入れていたのですが、国内の旅でも使ったほうがよさそうです。

 

スペイン巡礼では持ち物ではなく、ドネーションを忘れて宿に引き返したこともあります。「アルケミスト」で有名なパウロ・コエーリョゆかりのアルベルゲ(巡礼宿)です。四国のお遍路なら逆打ちはあるけれど、カミーノは一方通行なのですれ違う巡礼者から怪訝な顔をされて恥ずかしかったのを覚えています。

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これから脳の機能が衰えるにつれて忘れ物は増える一方でしょう。いつまで一人旅ができるか、心もとないのですが行きたいところはまだまだあります。

 

湯の神殿、下部温泉の元湯橋本屋

ぬる湯が好きです。お湯と自分の境界線があいまいになって、延々と入っているうちに一種のトランス状態になります。瞑想や座禅を体験してきましたが、体温と同じぐらいのお湯に入り続けていれば無我の境地に到達できそうです。

というわけで、山梨・下部温泉の元湯橋本屋、新潟・栃尾又温泉の自在館を定期的に訪れて連泊しています。

 

今月は元湯橋本屋へ。甲府駅から身延線に乗るのもすっかり慣れました。下部温泉は無人駅なので甲府駅で帰りの切符も買っていましたが、バスに乗る感覚で車掌さんから直接切符を買うこともできます。

 

www.hasimotoya.jp

 

今回は3泊。朝起きたらまず温泉、そして朝食後、午後、夕方、寝る前。冷泉と温泉の交互浴をエンドレスで楽しみ、チェックアウトまで宿から一歩も外に出ませんでした。

 

お湯もさることながら、女将さんに会うのがいつも楽しみ。ご主人もとても感じがよくて、三人のお子さんたちもすくすく育っているそうです。

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橋本屋に嫁いできて20年になるという女将さん。結婚後すぐにお姑さんが亡くなり、いきなり若夫婦が宿を切り盛りすることに。

部屋に置いてある女将さん手書きの「橋本屋湯便り」を改めて読むと、相次ぐ台風や火事を乗り越えてきた苦労がしのばれます。幼い息子さんと川の向こうに避難し、燃え上がる火を見て「もうダメだ」とあきらめていたところ、なんとか類焼は免れたものの、消火活動の水により休業を余儀なくされたそうです。コロナの時も大変だったでしょう。

 

その息子さんも高校生。下のお嬢さんたちは中学生と小学生。お子さんたちの学校行事を優先して旅館を休み、部屋を限定してご主人と二人で切り盛りできる範囲で営業しているので、おひとり様連泊はなかなか取れません。ホームページをチェックして、空いている日を狙って予約しています。

 

「この仕事が天職」と感じさせる笑顔で楽しそうに働いている女将さんですが、体調がすぐれなかったり意欲が出ないこともあるのでは。

そして、接客や料理はお手のものだからやりがいがあるでしょうが、後片付けや掃除も毎日となるとどうなのでしょうか。ときにはむずかしいお客さんも来るかもしれないし。

 

夏らしく夕食には地元のアスパラガスが出ました。湯葉も山梨名物で、海なし県ですがマグロ大好き県なので刺身も美味。これに肉や野菜の陶板焼きとご飯がつくのですが、お腹がいっぱいになりすぎて入浴できなくなるので抜いてもらっています。そして温泉のためにお酒も休んでノンアルコールビールに。

 

部屋出しなのに朝食の鮭は焼き立て。何を食べてもおいしいのは、天然の鉱泉水をつかっているから。食後のコーヒーも深い味わいです。朝からお腹いっぱいになるので、昼食はなくてちょうどいいぐらいですが、希望すれば連泊客へのサービスの昼食があります。

 

女将さんの働きぶりを見ていると、この夏に滞在した函館のトラピスチヌ修道院を思い出しました。修道女はキリストと結婚したと言われますが、女将さんは1865年創業というこの宿と結婚したようなものでしょう。

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橋本屋のお湯はどこか神々しく、静かに入浴しているとお湯の神殿にいるような気持ちになります。女将さんは巫女のような存在。トラピスチヌ修道院は函館まで飛行機に乗らないといけませんが、橋本屋は中央線と身延線を乗り継げばいいだけ。涼しくなったらまた行きます。

私はいつも見知らぬ人たちの親切に頼ってきました

飛行機の機内持ち込みのルールが厳しくなり、座席の上の棚には自力で入れこととなりました。体の不自由な方は手助けが必要な乗客として事前に申し込んで優先搭乗しますが、単に背が低くて手が届かないのなら預け荷物にするしかありません。機内に持ち込めるのも、手荷物と身の回り品の2個まで。チェックイン後で大きなお土産を買うと3個にカウントされます。

 

旅の荷物が少なく、身長160センチで上の棚に手が届く私にとっては特に問題はなかったのですが、先日の国内線でちょっと困ったことになりました。

持ち込んだのはこの2個。

とにかく軽いレスポートサックを愛用し、2個持つときは同じ柄にしています。こうした組み合わせを3パターンぐらい持っていて、搭乗時にJALのCAさんに「お揃いなんですね、素敵!」と声をかけられることもよくあります。

 

ボストンバッグは上の棚、ショルダーバッグは前の座席下に入れるのですが、この日は非常口席。前に座席がなく、2つとも上の棚に入れなくてはなりません。

入れるのは問題なかったのですが、降機時にショルダーバッグが棚の奥に入り込み手が届きません。座席脇のステップに足を置こうとしていたところ、背の高い乗客の男性が「取りましょう」と声をかけて軽々と取ってくださいました。

お礼を言いながら、テネシー・ウィリアムズの戯曲『欲望という名の電車』、ブランチ・デュボアの台詞が頭に浮かびました。

いつも見ず知らずの人の親切に頼って生きてきました。

I have always depended on the kindness of strangers.

 

旅行の情報を検索することが多いせいか、飛行機や新幹線の座席を巡るトラブルをネットでさんざん目にします。巻き込まれないよう身構えていたのですが、世の中には親切な人も多いのです。

鉄道よりも飛行機のほうがトラブルの種が多いような気がします。理由の一つが身分制度のような乗客のグループ分け。エコノミー席でもステータスがあれば優先搭乗となります。私がよくCAさんから話しかけるのも、優先搭乗しているからでしょう。

上の棚は共用なので後から搭乗すると自分の席と離れた棚に入れざるを得なくなることも。さらに座席指定もステータスによって取れる席と取れない席があります。たまにしか飛行機に乗らずステータスと無関係の人は、苦々しく思っているのではないでしょうか。

 

ヤマザキマリの友人の体験談。

fujinkoron.jp

小柄な友人は収納棚の奥に荷物を押し込むことができず、通りがかった男性のCAに手伝いを頼んだところ「ご自分で扱えない荷物は、持ち込まないでください」と言われたそうです。

おそらく日系の航空会社ではないのでは? JALやANAのCAがこんなことを言うとは想像できません。ヤマザキマリはJALの機内誌に連載を持っているので、悪口は書かないでしょうし。

「それだとまるで背の低い人は手荷物を持ってくるな、という言い方に聞こえますが」と言い返した友人。するとそばに座った男性が「決まりなんだから、荷物を預けなかったほうが悪い」と発言したそうです。

なんという殺伐とした世界。ネットの反応は友人のほうが悪いという意見がほとんどでした。何人にも頼まれて重い荷物を上げていたらCAが腰痛になるし、時間がかかって出発遅れの原因となるというのが理由です。

CAも配慮に欠けていたかもしれませんが、この友人も言い返すのではなく、とりあえずはお礼を言って「次からは気を付けます」と結んだほうが丸く収まったのではないでしょうか。「自分の荷物は自分で上の棚へ」のルールが明言されていなかった時は、ふんぞり返ったオヤジが重い荷物をCAに上げさせているのを見たことがあるし、一人の乗客を手伝うと「あの人のはやってくれたのに」と言う人も出てくるでしょう。

 

易の六十四卦の一つ、「火山旅(かざんりょ)」は物見遊山の楽しい旅ではなく、トラブルだらけの心寂しい旅。旅が好きではない人は「なんでわざわざお金を使って苦労しに出かけるのか」と不思議に思うでしょうが、困難な目に遭うからこそ新しい発見があり、見知らぬ人から思いがけなく親切にされるのも旅ならではの体験です。