メイ・サートンの一連の日記を読んでいると、日本旅行の思い出が随所に出てきます。ベルギー生まれでアメリカで暮らしたメイ・サートンにとって遠い異国である日本は、10年以上たっても、印象に残る旅先だったのでしょう。
私にとってはスペイン巡礼。無謀な計画ではないかという不安もありましたが、迷っているうちに年を取っていけなくなる前に決行してよかったし、トータルで800キロを歩いた旅を折に触れて思い出しています。
できればカミーノ・マジックの世界をいつまでも生きていたい。
お互いが善意の人であるという前提がある場では、なんと心安らぐことか。日本は安全な国でめったなことで犯罪に巻き込まれないはずだったのに、連日のように闇バイトのニュースが流れる昨今、人を見たらどろぼうと思わざるを得ません。
ブレイディみかこ『他者の靴を履く』にレベッカ・ソルニットの「災害ユートピア」という言葉が出てきます。
災害が起こっても、互いを助けて気にかけあうという一種のユートピア的な状況になるというのです。格差や分裂がなくなり、生き抜くための親密な連帯感が生まれることで、人々は「自分には価値があり世界の中心だと感じられる」とあります。
楽観主義すぎて、にわかには信じられません。
ブレイディみかこが例に出したのは、コロナでロックダウン中、自身が暮らすイギリスのブライトン。
外出できない高齢者のために無償の買い物代行がネットワーク化され、困ったことがある人は相談してほしいと自宅の入口に電話番号を貼りだす人もいたとか。スーパーの店員、ゴミ収集員、看護師、介護士、バス運転手などのキーワーカーが英雄視され、毎週決まった時間に拍手を送る。平時には政権やエリートに押さえつけられていた人々が、主体性を発揮していきいきと動いていたとあります。
日本ではどうだったのでしょうか。引きこもって本とドラマばかり観ていたのであまり記憶がありません。コロナに感染したら、肉体的ダメージより社会的制裁のほうが怖いと感じていたので、困っている人を助けるなんて思いもよりませんでした。
そして私にとっては、スペイン巡礼が一種の「災害ユートピア」でした。最低限の所持品で、歩き続ける日々。支持政党や思想は関係なく互いを尊重しあうので「自分には価値があり世界の中心だ」と実感できたし、共に歩く巡礼者にも同じく価値があり世界の中心だと思えました。日本に帰国後はこうした感覚の欠乏感を抱いていました。
先月、伊豆高原の「やすらぎの里」でカミーノの感覚がよみがえり、社会や日本とか大きな単位ではなく、身の周りからユートピア化していけばいいと思い至りました。
たとえば毎日のように通っているスポーツクラブ。顔見知りには挨拶以外にも気遣っていることを伝える。ダンスレッスンのスタジオではいい場所を取ろうとしない。シャワーや洗面スペースは急いでいる人がいたらゆずる。
気兼ねなく一人旅ができる自由があるのだから、家庭内では夫に意地悪なことを言わない。できるだけ夫の好物を用意しておく。
そして、占い仲間で作ったウラナイ8。カルト的なあやしい結び付きではなく、広くゆるいつながりをモットーにしています。西洋占星術のホロスコープや四柱推命の命式は、まさに「自分が世界の中心」を実感するためのツールです。関わる人すべてが自分の価値を再認識する場であってほしいと願っています。
やすらぎの里・養生館から朝のトレイルウォークへ向かう道。スペインの巡礼路に似ています。