8月の中旬を過ぎると私が教える日本語学校の学生たちは帰国ラッシュとなります。
北ヨーロッパは8月半ばから新学年が始まる学校が多いからです。
ピークの時期は2クラスで合計30人以上の学生に教えていました。これが1クラスになると、ぐっと楽になります。
今年の夏はロシアからの優秀な学生が目立ちました。
モスクワ大学日本語学科から2人の女学生。
弱冠19歳の彼女たちの日本語のすばらしいことと言ったら。
日本語だけでなく日本の文化や歴史も学んでいるという彼女たちの書くトピックは、トルストイやドストエフスキー、そして三島、谷崎、芥川といった日本文学にも発展しました。
ひたすら彼女たちの作文を読んで精一杯の返答をしつつ、ロシアについての質問を投げかけました。
彼女たちが生まれたのは共産主義崩壊の後ですからピンと来ないのでしょう。
ネタに詰まって、ロシア旅行のおすすめコースも作ってもらいました。
サンクトペテルブルクにはぜひ訪れるべきだそうです。
私にとってサンクトペテルブルクはレニングラード。
フィンランドからほど近いロシアの都市です。
1991年のソ連崩壊の影響を受けた国の一つがフィンランドです。ソ連からの侵略に苦しみつつも、フィンランドにとってソ連は最重要の貿易相手国でした。
ソ連の崩壊によって深刻な不況に陥ったフィンランドを描いたのが、アキ・カウリスマキの『浮き雲』。
私はこの映画を見てフィンランドにがぜん興味を持ちました。
『浮き雲』に描かれたフィンランドは野暮ったくてまったくあか抜けていません。フィンランドの人となら、物おじせずつきあうことができるかもしれないと思いました。
その後、アキ・カウリスマキが小津安二郎の『東京物語』を観て文学の道を捨てて映画に進んだことを知りました。
彼の映画をすべて観ようとして、巡り合ったのがレニングラード・カウボーイズ。ソ連もアメリカも大嫌いというカウリスマキが、両国を茶化すために作ったコミックバンドです。
そして、レニングラード・カウボーイズのボーカル、ヨレ・マルヤランタの歌声にノックアウトされました。
シャイなフィンランド人は外国人とはめったに友人にならないと聞き、強制的に友人にうためにカウチサーフィンを始めました。
カウチサーフィンのサイトを通じて、ホストファミリーを探している日本語学校から連絡を受けて、フィンランド人のヘンリク君のホームステイを受け入れることに。ヘンリク君とは生涯の友人となりました。
ヘンリク君を通じて日本語教育に興味を持ち、日本語教師養成講座を受講して資格を取得。
そして、ヘンリク君が学んだ日本語学校で作文のクラスを教えることに。
モスクワ大学日本語学科の学生からサンクトペテルブルクという都市名を聞き、一気にレニングラード・カウボーイズに記憶が飛びました。
この5年間に起こったできごとは、まるでフィンランド・ロシア版わらしべ長者です。
ロシア人学生からは手描きのマトリューシカのイラスト入りメッセージをもらいました。デンマーク人学生からはアンデルセンの写真の絵はがき。
そして、漫画とゲームが大好きなオタク・スチューデントのチェコ人からは「先生はどのポケモンが一番好きですか?」という質問が。
「私は猫が好きですから、ニャースが好きです」と返答。
最終日にニャースのイラスト入り作文が提出されました。