すぐれた小説は、読者にさまざまな考える種を与えます。
私にとってはアン・タイラーの小説。洋の東西は変わっても人間は本質的に同じなんじゃないかと考えさせられました。
『パッチワーク・プラネット』の主人公はボルチモアの名家に生まれたのに、親の期待を裏切って、高校時代に非行に走り、大学も中退。高齢者相手の便利屋のような仕事をして、30歳の誕生日を迎えます。
再読すると、この小説の裏の主人公は母親のような気がしてきました。
アメリカは自由な社会というイメージがありますが、日本以上の格差社会の面もあります。
主人公の母親はごく普通の家庭の出身。ボルティモアの名家の男性の結婚はいわゆる玉の輿です。
両親はAで終わる名前が好きだったから娘にマーゴと名付けたのに、セレブの恋人との交際中に、Tがついているほうが高級な響きがあるからと名前のスペルを変えてしまいます。
両親が最初にTが書かれているのを見たのは、結婚式の招待状。「これ、だれ?」と娘に聞くと、「私よ」と娘。両親はどんな思いだったでしょうか。
上流階級の家の息子に見初められて、おとぎ話だったら「いつまでも幸せに暮らしました」と終わるところですが、そんなことはありえません。
背伸びして玉の輿に乗ったしたツケはすべて次男のバーナビーに巡っていきます。
自分が母親似であることを認めながら「母は父の家族に前に出ると、ポーランド系のおどおどした小娘に過ぎない」と辛辣に観察するバーナビー。
そして、母の上昇志向をあざ笑うかのように期待を裏切り続けます。それでいて母からは決して自由になれないと嘆くのです。
占いの学校で四柱推命を学んでいた時、個人だけでなく家族全員の命式を見るとタペストリーのようにいくつものストーリーが交錯しているという話を聞きました。
東洋占術は家系を重視するので、祖父母、両親、子供そして配偶者の五行がどういう状態かを推察していくのです。
家族であっても、一人ひとり考えていることは違うし、目指すものも違います。
そこからひずみが生じるのもしかたがないことでしょう。
川越の氷川神社の良縁をもたらす鯛のお守り。
家族で悩みたくないのなら、独身を貫けばいいのですが、そういうわけもいきません。この世に完璧な良縁なんてないけれど、ご縁があれば結婚して、そこから物語が生まれます。