毎年恒例の阿佐ヶ谷七夕まつりが始まりました。
地元民にとっては、商店街がどっと混んで日常の買物もできなくなる不便もありますが、夏の終わりを告げる季節の風物詩です。
暑い日が続いていますが、8月7日の立秋で暦の上では秋の到来。東洋占術の講座では、天の気が変化してタイムラグがあって地の気が変わるから、季節はいつも先取りとなると習いました。
七夕が過ぎればお彼岸です。此岸(この世)から彼岸(あの世)、生者と死者が交わるタイミング。
日本語学校でメキシコ人の学生から死者の日について聞いて、日本のお盆と似ていると思いました。
先日、大学時代の同窓会があり、懐かしい人たちと再会しました。私の学年にはまだ死者が出ていないのですが、先輩・後輩からはちらほら死別のお知らせが届きます。
人気作家の山本文緒の享年は58歳。
『無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記』によると、胃の痛みと胸やけが続き、人間ドックへ行ったものの異常なし。服薬しながら様子を見ていたら数か月後に膵臓がんステージ4で余命4か月と診断されたそうです。
「毎年きちんと人間ドックを受けてきたし、煙草とお酒は13年前にやめて一度も飲んでいない」とあり、酒ばかり飲んで無料の区民検診を受けているだけの私は、いつ余命宣告されてもおかしくありません。
夜中に手洗いに起きると、夫がリビングでいびきをかいて居眠りをしていたので起こそうとしたが、少し考えてそのままにした。この人がいま「もうすぐ妻が死ぬこと」から解放されるのは寝ているときだけだと思ったからだ。
『夜と霧』の一節を思い出しました。
アウシュビッツ収容所でぎりぎりのところで生き抜いている夜、ベッドで悪夢にうなされている収容者がいました。一瞬、起こしてあげようとしたけれど思いとどまります。強制収容所以上の悪夢はこの世にないから。
山本文緒の人生の振り返り。
私の人生は充実したいい人生だった。
58歳没はちょっと早いけど、短い生涯だったというわけではない。
私の体力や生まれ持った能力のことを考えたら、ものすごくよくやったほうだと思う。20代で作家になって、この歳まで何とか食べてきたなんてすごすぎる。
そして、軽井沢のアウトレットモールで高級なバッグや宝石や洋服を「今なら自分の欲を満たすためだけに買ってもいい」と思ったけれど、着ていくところもなく見せる人もいないのなら買う意味がない。高級品が欲しいというのは、自分の欲ですらないことだろうかと自問します。
私はなんとなく自分の寿命を90歳くらいに設定していて、贅沢をしなければそのあたりまでは生きていけるお金を貯めた。
そのお金は私に安心を与えたけれど、今となってはもう少し使っても良かったのかもしれない。例えばもう仕事は最小限にして語学をやったり体を鍛えたり、お金じゃなくて時間のほうを使えばよかったのかもしれない。
神様はけっこう公平なのかもしれません。
山本文緒ほどの文才を与えられなかった私は、編集者に言われるままに記事を量産してきました。山本文緒は「せめて日常英会話くらいできたら旅先で旅先でもっと楽しめたと思うし、一人でも旅ができただろう」と書いています。もし「一人旅の才能」というものがあるとしたら、私はかなり恵まれたほうです。そして、旅の才能の代わりに文才が欲しかったかというと、そうでもないような気がします。
そして、占い記事を担当するようになって本格的に占いを学び、ウラナイ8の仲間と七夕イベントを開催できるようにもなりました。
さまざまな思いが交差する七夕の夜、「当たるも八卦当たらぬも八卦」で占いをやって人生を俯瞰してみるのも一興です。皆様のお越しをお待ちしています。