翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年秋、スペイン巡礼(フランス人の道)。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。おかげさまで重版になりました。

50 年越しの斜陽館

9月の旅は青森。東京では暑い日が続いていますが、青森はすっかり秋でした。

五所川原で一泊して太宰治の出身地、金木町へ。太宰の生家は大地主で、一家が暮らした豪邸は「斜陽館」と名付けられ、入場料600円で見学できます。

 

1階11室、2階8室、付属建物や庭園を合わせて680坪。太宰が上京して職にも就かずぶらぶらできたのも、裕福な実家からの仕送りがあったからこそ。

 

村上春樹は『若い読者のための短編小説案内』で「太宰治の小説にはどうしても身体がうまく入っていかない」と書いていますが、私は子どもの頃に『走れメロス』を読んで以来の太宰ファン。大学の専攻は社会心理学でしたが、日本文学科の太宰の講義にも紛れ込んでせっせとレポートも書いていました。太宰の一人称小説を読むたびに、どうやったらこんなにうまく書けるのだろうと思ってしまいます。

『駆け込み訴え』『女生徒』も好きですが、一編を選ぶなら『トカトントン』。

 

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斜陽館の向かいには、産直メロスというお店と食堂メロス。大きな駐車場もあり、すっかり観光スポット化されています。

「食堂メロスでご馳走をいっぱい食べて地酒も飲み、財布をなくしたことに気づいて信頼できる友に青森までお金を持ってきてもらう」というストーリーが頭に浮かんだのですが、食券制だったので無銭飲食はできませんでした。

 

太宰のクズっぷりはいろいろと伝えられていますが、『走れメロス』の元ネタとなった「熱海事件」は強烈です。

熱海に滞在中の太宰に「お金を届けてほしい」と太宰の妻から頼まれた壇一雄。ところが太宰は壇を誘い放蕩を尽くし、さらに借金を膨らませます。そして、自分が東京に戻りお金を借りて来るからと壇を人質として熱海に残しました。待てど暮らせど太宰は戻ってこないので壇も借金取りと東京に戻ってもると、太宰は井伏鱒二宅で将棋を指していました。激怒する壇に太宰は「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」とつぶやきます。

 

大地主の家に生まれた太宰にとって、お金は額に汗して稼ぐものではなく、どこからかもたらされるものだったのかもしれません。元ネタを知ると『走れメロス』に昇華した太宰の筆力に感嘆せざるをえません。

 

太宰は5回以上も自殺未遂を繰り返し、38歳で亡くなります。第2子である長男がダウン症だったことを苦にしたという説もあります。大地主の家に生まれたといっても、太宰は六男。長男がすべてを相続するという時代にあって、放蕩を尽くした文士であっても、自分の長男に障害があるのは耐えがたいことだったのかもしれません。

 

気づけば50年以上も愛読してきた太宰の作品の数々。若いうちに金木町を訪れて斜陽館を見ていれば、もっと深く読むことができたかもしれないのに、半世紀もかかってしまいました。「記憶の配当」としては大損です。

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行ったことがないからこそ、想像の中で太宰の故郷のイメージが膨らんでいったから、このタイミングで来てよかった。そんなふうに考えることにします。