翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年秋、スペイン巡礼(フランス人の道)。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。おかげさまで重版になりました。

長生きが喜ばれない時代

組織に属さずフリーランスで30年以上働き、子供を持たなかったので、加齢の感覚が世間とずれています。斜陽の雑誌業界には若いライターが参入してこないのか、引退を申し出ても後任が見つからないという理由で続いている仕事もあり、高齢者の自覚がなかなか持てません。

 

そんなふわふわした状態に一撃を与えたのが、酒井順子の『消費される階級』。超高齢化社会のおばあさん格差という章です。

「高齢になってからの幸福感の高低には、お金以外の様々な要因が関係している」とあります。

たとえば健康。年をとるとお金と健康の価値はほとんど変わらなくなるそうです。老後資金を増やしたり、節約を心がけてお金を減らさないようにできても、人体の耐用年数を伸ばすことはできません。日本女性の健康寿命は75.38歳。平均寿命は87.45歳ですから12年ほど体が不自由な状態で生きることになります。健康寿命を少しでも伸ばすようにせっせとスポーツクラブに通っているのですが、効果には個人差があるでしょう。

 

しかし、いくら健康に気を付けて元気なおばあさんになったとしても、すべてが解決するわけではありません。「長く生き過ぎてしまった」と嘆くゴージャスな高齢者施設で暮らす90代半ばの女性の話に考えさせられました。

経済的不安もなく、寝たきりでも認知症でもなく、子孫にも恵まれている「全てを持つ高齢者」でありながら、施設の入居者とはあまり話が合わず、食事にも飽きた。刺激がない日々をただ生きているだけ。「長く生きるのも考えものよ」という彼女。

一方、酒井順子の母親は69歳で突然倒れ翌日に死亡。当時、母の友人たちは「70にもなっていないのに、かわいそう」と言っていましたが、5年もたつと「あなたのお母さま、幸せだったと思うわ。老いるってことを本当には知らないうちにいなくなるなんて最高よ」となり、さらに時がたつと「子供に迷惑をかけずに逝けるなんて、なんて幸せ者なの!」となったそうです。

 

60代半ばの私が明日死んだら「若いのに気の毒」と思われるでしょう。しかし、そのまま年を重ねて80代、90代になったとすると、社会に迷惑をかける存在に。高齢者の医療や介護負担が重くのしかかる日本で老いていくのは相当ハードなことになるでしょう。むしろ明日死ねば「亡くなる直前まであちこち出歩いて、ヒップホップも踊っていた」とうらやましがる人がいるかもしれません。

 

スペイン巡礼ではベッドがずらりと並ぶ巡礼宿で熟睡していましたが、ずっと暮らすとなると個室が望ましい。この春に滞在した那覇のホテルで「老後の施設もこんな部屋だったらいいのに」と思いました。細かい活字は読めなくなっているだろうから、本は持ち込まず、大型タブレットを読める机とベッドさえあればいいはず。高齢者が増えすぎると、施設は長い順番待ちで待っているあいだに死んだりして。あくまで理想は、なんとか自分の家で暮らし続けることですが。