新聞を取るのをやめたいけれど、ずるずる続けています。昔から朝が苦手で寝起きが悪い私は、活字を読むことが朝の儀式でした。そして、新聞を配達している外国人留学生の生活を想像すると「もうやめる」となかなか言い出せません。
長官で真っ先に目をやるのが第一面の「折々のことば」。先週の水曜日はこんなことばでした。
仮に産んでいないということが、ひとつの欠如であるとしても、それは経験の欠如ではなく、欠如の経験です。
詩人の藤波玖美子さんの言葉。出産経験のあるなしは、女性を隔てる溝になりがちですが「産まない女である私」として、子どもたちが将来、無事に生き延びていけるよう、ともに案じ、環境を整えておくのが、この時代を生きる大人の責任だとあります。
結婚しているのに子どもを持たない選択をした私は、頭の固そうな高齢者からずけずけと批判されたり勝手に同情されることがよくあります。特に女性の高齢者。「子どもを産んだ」というアイデンティティにすがって生きている人にとっては、私のような存在は目障りなんでしょう。
少子化を食い止めるために女性は出産することが望ましいですが、産む・産まないの選択が本人に委ねられることこそ、成熟した社会ではないでしょうか。
占いの世界でも「子どものいない占い師は育児や教育の相談が苦手」と考えられがちですが、子どもがいないからこそ、客観的に鑑定できるとも言えます。
むしろ金運アップのアドバイスは、貧乏な占い師のほうが得意かもしれません。もともと金運に恵まれている占い師はお金がない状態をリアルに想像できないのです。お金がないという欠如の経験を積んでいないのですから。
同様に、とんとん拍子に結婚できた占い師の婚活アドバイスは役に立ちません。名選手名監督にあらず。大秀才は家庭教師として役に立たないでしょう。勉強ができない劣等生の経験がないからです。
人生にできる経験は限りがあります。自分が得たことだけでなく、得ることができなかった欠如の経験を自分の強みにすることもできます。
勢いで結婚して早や35年。婚活アドバイスは苦手です。