介護保険がなかったら、実家は崩壊していたでしょう。
まず母がお世話になりました。
一昨年の冬に母が亡くなり、肺炎で入院中の父は気落ちもあって病院を退院後、施設に入所することに。ところが春頃から「ここは監獄みたい。家に帰りたい」と言うようになりました。
離れて暮らす私としては、ずっと施設にいてくれたほうがありがたいのですが、本人の希望を優先することにしました。苦学して東京商船大学を卒業し、外洋航路に乗船し、50代で瀬戸内海航路の水先案内人に。72歳までずっと働き詰めで、ようやく退職したら母のパーキンソン病の老々介護の日々でした。
私が好きなように進学、就職、結婚できたのだから、父も好きなように老後を送ってほしい。
そこで介護保険プラス自費負担でケアプランを立ててもらいました。
週末は2泊3日のショートステイ、平日も週2日はデイサービス。自宅で過ごす日は朝昼晩とヘルパーさんが来てくれますし、デイサービスの送り出しも頼んでいます。
父自身も「こんなに人手を煩わすなんて、昔の王侯貴族みたいだ」ときまり悪そうにしていますが、やはり自宅をベースにしておきたいのでしょう。
私の世代は父のような手厚い介護は期待できません。
介護は労働集約型産業です。これから高齢者が急激に増えて、労働人口が減る一方の日本で、今のシステムが続くとは思えません。
自分自身の終活を進めて、生前と死後事務契約を結びました。
自立して暮らしていけなくなったら、100歳まで費用が賄える前提で入所できる施設を探してくれるそうです。
年に一度、担当者が自宅を訪問してくれるサービスもあります。認知症の兆候が出ていないかをチェックするのでしょう。50~60代のしっかりした人は、断ることも多いと聞きましたが、私はあえてお願いしました。子供がいない私は、死後を委託する団体にどんな暮らしをしているかを知ってもらっておくのもいいだろうと思ったから。
今のところは特に相談することもなく、さまざまな人生の終わり方を聞くことになりました。
ある方は、自力で食事がとれない寝たきり状態になって施設に入所。毎食ごとに看護師さんがつきっきりで食事をさせてくれるのですが、意識がはっきりしているので「若いあなたの時間をこんな無駄なことに費やすなんて…」と心苦しそうにしていました。しかも、これから10年もそんな状態が続くというのです。
そこでその人は食事を徐々に拒否するようになり、2年後に衰弱死したされたそうです。
看護師といえども無理やり食べさせることはできないし、栄養剤の点滴も断固拒否したのでしょう。
こういう話を聞けただけでも終活を始めてよかったと思いました。
いつまでも若いつもりでも、もうすぐ60代に突入する私に残された健康寿命はあまり長くありません。自分がやりたいことをやっておく一方で、少しでも社会の負担にならずこの世を去る方法を模索しています。
日本にもマザー・テレサの「死を待つ人の家」みたいな施設があればいいのに。
延命治療はせず、食べたくない人には無理に栄養補給もしない。静かにこの世を去っていける場所があれば、心安らかに老後の日々が送れるのですが…。
スペインのセビリアで見かけたタトゥーの店。