7月のコロンビア行きを前に、ガルシア=マルケスの著作を大急ぎで再読しています。
最初に読んだ時は、51年9ヵ月と4日も初恋の女性を思い続けるというストーリーを追うだけで精一杯でした。娘を玉の輿に乗せたい父親に幼い恋は引き裂かれ、フェルミーナ・ダーサはカルタヘナの名門一族の医師、ウルビーノ博士に見初められて嫁ぎます。蔓延するコロナから街を救った功績から博士の名声はますます高まり、理想的な夫を得たフェルミーナ・ダーサは過去の恋をすっかり忘れてしまいます。
ガルシア=マルケスのすごいところは、遠い異国の話でありながら「これは私も体験した、知っている」と思わせるところです。まさにマジック・リアリズム。
街中の人が羨む結婚をしたフェルミーナ・ダーサですが、ヨーロッパへの新婚旅行から帰った途端、とんでもない家の囚人になったと感じます。未亡人の姑はいつも不機嫌で、小姑たちと一緒にテーブルマナーや服装について難癖をつけるばかり。常に人の家で暮らしているような居心地の悪さです。
これは私の母と同じ! 私の祖母にあたる姑は温厚でしたが、近所に住んでいる小姑4人は一筋縄でいかず、父は外国航路の船乗りで不在。うつ状態で暮らした母のせいで兄と私はそれぞれ歪んでしまいました。
フェルミーナ・ダーサの姑は亡くなり、小姑たちは修道院に入り名家の女主人として晴れ晴れと暮らせるようになります。夫のウルビーノ博士が不慮の事故で亡くなった時、フェルミーナ・ダーサは72歳。そこに76歳のフロンティーノ・アリーサが言い寄るのです。
彼は大きな賭けに出てみようと決心し、タイプライターを習得します。1930年代当時の最新テクノロジーです。キーボードの文字を覚え込むのに3日間、ものを考えながら文章を変えるようになるのに1週間、そしてタイプミスのない最初の手紙を書き終えるのにさらに3日間。何百枚もの紙を屑箱に捨て、フェルミーナ・ダーサへのラブレターを書き続けます。
先日、別府の温泉で出会って大分の情報をあれこれ教えてくれた70代の女性を思い出しました。
バスガイドや添乗員として働いてきたそうで、ハキハキとした明るい人。久住出身で東京で就職、30代で故郷にUターン。月に一度は別府に息抜きに来るそうです。
久住から別府まで車を運転しているのだから十分お元気だと思うのですが、「60代とはまったく違う」とおっしゃいます。私がJALのバーゲンを狙って安いチケットを取っていると話すと、「パソコンが無理。それが70代というもの。若いうちに挑戦していたらよかったのに、今では新しいことをする気力が湧かない」とのこと。だから、60代のうちにやりたいことは全部やっておくべきだと熱いエールをいただきました。
70代まであと5年。フロンティーノ・アリーサのように挑戦を続けられるのか。それともあきらめるのでしょうか。老いへのプロセスも未知の旅です。

70代の女性と会ったのはホテル・エール。彼女の定宿です。一人でものびのび過ごせるし、素泊まりで食事も自由。温泉の質がよく、外国人スタッフがみんな頑張っていて感じがいいと絶賛していました。このホテルを選ぶこと自体が彼女の若さを象徴しています。近所に住んでいたらパソコン操作を教えてあげられるのに。
60代でのスペイン巡礼を決意できたのは、72歳の挑戦を知ったからです。