10月の終わりに自在館3泊4日の滞在。前回来たのは11月でした。
ぬる湯に最適のシーズンは初夏から秋にかけてではないでしょうか。できればもっと早く再訪したかったのですが、人気の宿で1人部屋がなかなか空いておらず、10月末になってしまいました。
ここのすばらしさは何といってもお湯。単純放射能泉、通称「ラジウム温泉」。約35度のぬる湯に1〜2時間、繰り返し入るのが伝統的な入浴法です。
健康面の効用もさることながら、私の目的は瞑想。そもそも、ぬる湯を探すようになったのは、ヴィッパサーナ瞑想の合宿の申込みで飲酒癖を正直に申告したところ参加を断られたのがきっかけです。
自在館では月に2回、坐禅の会を開いていて今回はたまたまその日に当たりました。
指導してくださる岩渕慈道師は50歳で出家したというユニークな経歴の持ち主。本業の接骨院のかたわら、法要や坐禅指導に携わっています。「寺がないから、檀家もいない、葬式に出ることもない」とおっしゃいますが、葬式仏教と揶揄される日本の仏教界では珍しいタイプでしょう。お寺の後継者ではないから、60代になっても地元の仏教組織に青年部に属しているそうです。
1時間の講座のうち、実際に坐禅を組むのは最初の5分と最後の10分だけ。座禅の方法や座禅を生活の中で活かすためのお話が中心でした。
坐禅を始めても、外の音や足の痛さ、腹立たしかったこと、これから何を食べるかなど、さまざまな考えが頭に浮かんできます。人間の脳がそういう働きをするようにできているのだから、しかたがありません。雑念が浮かんだらどんどん横に受け流していけばいいのです。
Netflixの「ヘッドスペースの瞑想ガイド」を思い出しました。道路の脇に座りさまざまな車が通り過ぎるのを眺める自分を想像します。車は思考であり、ついて行ってはいけない。ただ走り去っていくのを眺めるだけ。これが瞑想中の雑念に囚われないためのテクニックです。
そして曹洞宗では生活すべてを坐禅とし、掃除を始め一日にやることの手順がすべて定められているというお話。考える前に体が動き出すのです。私も朝の家事ルーティンは、そうなるように心がけて毎日おなじことを繰り返すようにしています。
「一寸座れば一寸の仏」という言葉も教わりました。線香が一寸(3センチ)燃えるだけも短い時間でも、坐禅を組めばその時間は仏になれます。今日は時間がないからやめておこうと思わず、ちょっとした時間でいいのです。
家事や食事も坐禅となるなら、一日のうちに何度も坐禅の機会があります。
そしてもちろん、温泉も。永遠に入っていられる心地よいぬる湯に身を委ねて頭の中を空っぽにして世界と一体化するひととき。これを求めて、温泉に通っているのです。

自在館では一人用のコンパクトな和室に滞在。座卓しかないので、ロビーに併設された図書コーナーでよく過ごしました。