「仏教の修行を体験してみたい」という外国人が数日間、日本のお寺に滞在。
「早朝の読経から始まり、寝るまでスケジュールがぎっしり組まれて、精神の自由を得るどころではなかった」という感想を抱いたところ、「次に何をやるか考えなくてすむところに、精神の自由がある」と返されたという話があります。
本業が徐々に暇になってきて、自由時間をたっぷり持っている私には耳の痛い話です。休む間もなく働いていた頃は、アガサ・クリスティ自伝のこの一節にあこがれたものです。
朝、目を覚ます、はっきり目がさめる前にもう心の中でこういってる。
「さて、今日はどういうふうにするかな?」
選択の自由がある。目の前にある一日を思うように計画することができる。
私は、しなければならないこと(これを私たちは義務といっている)がたくさんないとはいわない。もちろんある。家の中にもなすべき仕事がある。写真入れの銀の額縁を磨く日、ストッキングを繕う日、「歴史上の大事件」を勉強する日、町へ出て小売り商の勘定をみんな支払う日。手紙や覚え書きを書くこと、体重を測ったり、運動すること。そして刺しゅう―でもこれはみんな私の考え通りに手はずをきめ、私の選択に任されていることである。
私は自分の一日を計画して、こういえる。
「今日の午後までストッキングはそのままにしておいて、今日は下町へ出かけ、別の道を通って帰る途中、あの木が花を咲かせているかどうか見てみましょう」
クリスティが作家になる前の若い日々です。なるほど、こういう豊かな感性で日常生活を送っていたから、平凡な生活を舞台にしたミス・マープルのミステリーのネタも尽きなかったのでしょう。
ようやく私も優雅な生活を送れるようになったはずでしたが、現実はネットやゲームを際限なく続けて一日が終わることも。これではいけない、仏教に学ぼうと手に取ったのが『モンク思考 自分に集中する技術』です。
著者はインド系イギリス人二世。両親から俗世での成功を期待されビジネススクールに入ったものの、出家の道を選びます。たまたまインド人僧侶の講演を聞いたのがきっかけです。その僧侶はインド工科大学ボンベイ校卒。アメリカのMITに並ぶエリート輩出の名門校です。成功が約束された輝かしいキャリアを投げ打つ魅力があるのかを知ろうとして、気が付いたらミイラ取りがミイラに。自らも出家してインドのアシュラムで修行しました。
結局、僧院の中にこもるより社会に出て仏教を広く伝えるほうが向いているタイプだとわかり、俗世に戻り学校を卒業。就職先はアクセンチュアですから、もともと優秀な人なんでしょう。アクセンチュアでも瞑想を社内に広める活動をして、現在は執筆や講演、ポッドキャストに専念しています。
この本で説かれているのも、俗世においても生活はシンプルに選択肢を少なくすることです。朝のルーティンを決めて、日課をこなす。洋服の数を決めて、何を着るか迷わない(僧侶は僧衣2枚しか持たない。1枚は洗い替え)。
所有から自由になるために、住まいを仮の宿と考えればいいと書いてあります。たとえ住宅ローンを払い終わっても、あの世まで持っていけません。エアビーアンドビーで借りているようなもの。期限がくればチェックアウトするのだから、執着する必要はない。そして、肉体も頭脳もこの世を生きていくための仮の姿です。
また海外旅行に行けるようになったら、タイの僧院に滞在してみたいのですが、バンコクで参加した瞑想教室では「あなたは、バンコクにもいるし、東京にもいる。世界中どこにでもいる。わかるかね?」と師に諭されました。わざわざお寺にいかなくても、今、生活している家を修行の場とできればいいのですが。