立春を迎え、東洋占術の暦でも壬寅(みずのえとら)年となりました。
ウラナイ8の配信イベントも迫っています。
2月は始まりの月。
私にとっては父を見送った月です。昨年2月に父が亡くなり、一周忌の予定を入れていました。
コロナはそろそろピークアウトが見えてきているのかもしれませんが、この時期に東京から神戸までの遠距離移動にためらってしまいます。たまたま新しい仕事の打診もあり、万一感染するとかなりの迷惑をかけてしまいそう。というわけで欠席を伝え、ようすを見ながらお彼岸にお墓に行こうかと考えています。一周忌を欠席するなんて、ずいぶん親不孝のようですが、もともと信心深い家ではないし、父もわかってくれるでしょう。
2004年に母がパーキンソン病を発症し、2018年末に死去。2年後に父を送り、15年以上に及ぶ月一回のペースでの介護帰省も終わりました。会社勤めではないフリーランスだからできたことです。
亡くなってからのほうが、両親のことを身近に感じるようになりました。『千の風になって』じゃありませんが、お墓とか法要は生きている者が区切りをつけるためのものであり、肉体から自由になった死者は飽きるまでこの世を自在に飛び回っているのではないかと思うのです。
そして、子供のいない私にとって、両親の死は血縁からの解放も意味します。
知能やスポーツの才能はかなりの部分、遺伝によって決まるそうですが、きょうだいは他人の始まりでもあります。同じ両親から生まれてきても、価値観や考え方はまったく異なります。
父の遺産は放棄するつもりでしたが、相続税の関係で12分の1だけ相続することに。父がまだしっかりしていた頃に提案できたので、父は自らの足で公証役場に出向き、公正証書を作成してくれました。「東京で働いて経済的に不自由のない暮らしをしている長女」という記述に、私の生き方を少しは認めてくれていたんだと嬉しくなりました。
遺産の一部を父の母校の東京商船大学(現・東京海洋大学)に寄付できました。寄付金の用途を指定できるので、経済的理由で学業をあきらめることがないように修学支援基金を選びました。父も岡山の田舎から上京した苦学生だったから。大学から「銘板に名前を入れられる」という連絡があり、私ではなく父の名前を入れてもらいました。墓と同じぐらい父の魂の依り代となればいいのですが。
昨年11月には兄の長女が出産。父にとっては曾孫の男の子にあたります。生きているうちに顔が見たかったでしょうが、これも巡り合わせです。お祝いを贈ったら、「おばちゃんにも一度抱いてほしい」と姪からお礼。そんな機会があればいいのですが、とにかく父が願っていた通り、一族が続いているのは喜ばしいことです。
子どもがいないのに小金を残した伯母の遺産を巡って骨肉の争いとなった父の実家の騒動を見たこともあり、数年前から終活に取り組んでいます。入院や施設入所の身元引受人となってくれる団体と契約し、死後の埋葬や遺品整理もお願いしています。余ったお金を寄付する先を明記した公正証書も作成し、「これでいつ死んでも大丈夫ですね」と太鼓判を押されています。
終活の多くをを学んだのはメイ・サートンの著作。
「人が死を恐れるのは、一つにはその準備ができていないからです」
はい、準備はかなり進みました。
日本語学校のメキシコ人の教え子から死者の日について教えてもらいました。
あの世に行っても、現世に覚えてくれる人がいる限り、本当の死ではない。死者の日の祭壇には個人が好きなものをたっぷり並べて現世に迎える。死がそのようなものなら、怖くありません。