翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年秋、スペイン巡礼(フランス人の道)。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。おかげさまで重版になりました。

父との約束

先週、父が亡くなりました。

昨年12月に会った時は、足腰は弱っていたものの頭はしっかりして冗談も飛び出すほどでした。本人の希望で介護ヘルパーさんを自費でも頼みまくって一人暮らしを続けていたのがとうとう無理になったのが昨年の夏の終わりごろ。施設に入所して一安心と思っていました。

先月から食欲が落ちていると聞いていたのですが、東京も兵庫も緊急事態宣言発令中。3月になったら会いに行こうと思っていたのですが、施設の人から「顔を見ておかないと後悔する」と連絡が入り、信じられない思いで神戸に向かいました。

 

マスク、手袋、防護ガウンを付けて1日10分の面会。延命は望まないと施設に申し出ておいたので、食事も無理強いされなかったようでかなり痩せていました。呼吸も苦しくなっていますが、コロナで病床が逼迫していることもあり、人工呼吸器や栄養点滴のために病院に入ることは断りました。母がパーキンソン病で口から栄養が摂れなくなり胃ろうを設置し、廃人のようになって永らえたことから、人間の尊厳がまったくない最期は選びたくありませんでした。

 

結局、老衰という形で亡くなりました。満88歳ですから、長寿を全うしたと言えるでしょう。

 

それでも、こんなに早く亡くなるとは予期していなかったため、母の時より心が乱れました。もう両親は二人ともいない。「寄る辺なき」という言葉は子どもに使うべきなのに、とうとう私も寄る辺なき身になってしまったと心細くてたまらなくなりました。

 

しかし、感傷にひたっている暇はありません。遺された者がやらなくてはならないことが山積しています。2年前の母の葬儀の経験もあり、同じ葬儀社に頼んで段取りを組みました。

 

父との約束。母がまだ生きていた3年前の夏にこう言われました。

「この家でまともなのはお前一人になってしまった。お前が親の葬儀を二つ出せ」

ろくな親孝行もせず、孫の顔を見せることもできなかったから、せめて最後の約束ぐらいは果たしたい。

 

葬儀の打ち合わせは細かい選択の積み重ねです。祭壇、棺、死装束、遺影。通夜振る舞いや精進落としは、コロナの影響で取り分けではなく個食となったので人数を把握しなくてはいけません。遠方の親戚はコロナを言い訳に出席しなくてすみます。父の仕事関係も葬儀が終わった後に伝えることにしました。

 

身内だけの告別式なので、親族代表のあいさつは省略してもいいと葬儀社の人に言われましたが、それでは父が悲しむだろうという気がしました。生涯、海の仕事をしてきた父ですが、本当になりたかった職業は小説家。言葉遊びや冗談が好きで、故事を持ち出しては人を煙に巻くような人です。そして「本日はお忙しい中、○○の葬儀にご臨席たまわり~」から始まり「これからもご指導たまわりますよう」で終わる定型文の挨拶では満足しないでしょう。

 

岡山に生まれ、東京の商船大学で学び、外国航路の船乗りになった父の経歴、父の父は愛媛の伊予大島出身で村上水軍の末裔であることを紹介しました。

姪は昨年結婚したばかり。スポーツマンタイプの凛々しい新郎も葬儀に駆けつけてくれました。「父は海の仕事、そして最愛の孫娘が結婚した人は空の仕事。すばらしい伴侶を得たことを知り、安心して旅立ったことでしょう」と結婚のお祝いメッセージも込めました。

挨拶の締めくくりはメーテルリンクの『青い鳥』の死者の国から引用。

チルチル  おじいさんたちいつでも眠ってるの?
おじいさん そうだよ。随分よく眠るよ。そして生きてる人たちが思い出してくれて、目がさめるのを待ってるんだよ。生涯をおえて眠るということはよいことだよ。だが、ときどき目がさめるのもなかなか楽しみなものだがね。

若い世代が時々父のことを思い出してくれたら、死者の国で父はさぞかし喜ぶことでしょう。

 

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父の仕事場である神戸港。ここから門司まで外国船を水先案内していました。