父は介護老人施設で看取ってもらいました。担当のスタッフの方々には本当に頭が下がります。
目を真っ赤に泣きはらした若い介護士さん。そんなに涙もろくてはこの仕事は大変なのでは。
そして、看護師さん。
「意識がしっかりしているうちに面会に来られたほうが…」と電話をもらった時は半信半疑でした。12月は元気だったし、緊急事態宣言も出ている中、東京から行っていいものか。
「ご家族に連絡するタイミングはいつも迷います。でも『もっと早く言ってくれたらよかったのに』ということにならないように、こうしてお伝えしているのです」
中には「重要な仕事で多忙なのに呼びつけられた」あるいは「年金のために少しでも長く生かせろ」というクレーマー体質の人もいて気苦労の多いことでしょう。
息を引き取った後は体と顔をきれいに整えて、亡くなるまでの父の様子などを語ってくれました。日本にはチャプレンという職業はありませんが、現場の人たちは聖職者のような働きぶりです。
葬儀は母の時と同じ葬儀社に頼みました。
両親ともあまり宗教的ではなかったので、無宗教でもいいかと思ったのですが、母の葬儀で父は僧侶を呼ぶことを希望しました。田舎の親戚から墓やお寺のことで面倒な連絡があるたびに「イスラム教スンニ派に改宗する」と言ってた父ですが、葬儀となると保守的な宗教観に立ち戻るのでしょう。
お坊さんは葬儀社に紹介してもらったので、母の時と同じお坊さん。葬儀の打ち合わせで昨年の12月に行うはずだった母の三回忌をしていないことを指摘されました。コロナもあってうやむやにしていたのですが、お寺はちゃんと記録をつけているようです。
父の四十九日と同時に行うことができるというのでお願いしました。お布施は割増しになりますが、お車代、御膳代は1回で済みます。
そして、夫婦連名の位牌にして母の戒名だけ入れていたのですが、そこに父の戒名を入れるためには魂抜きの供養が必要とのこと。面倒ですがそこを否定しては宗教が成り立たないので、お願いしました。親切ないいお坊さんですが、営業マンの道を選んでも大成したのでは。
ケアマネさんから聞いた話。
信心深いおばあさんが認知症になり、お坊さんへのお布施を菓子折りでいいと思い込むようになった。お坊さんはしょっちゅう呼ばれるけれど、お布施は一切なし。たまりかねて後見人の行政書士に連絡を取り、お布施を銀行振込にしてもらった。記録が残るし、おばあさんの前でお布施を渡すと「お金を渡すなんて失礼」と言い出しかねないから。
お坊さんだって霞を食べて生きているわけではありませんし、お寺の維持もありますから現金収入が必要です。しかし、日頃は仏教徒の接点がなく、身内が死んだ時だけ儀式を頼むから葬式仏教だと感じてしまうのでしょう。
施設で高齢者を看取る人々。世俗的な計算では報われない職業ですが、徳を積んだことで報われることがあってほしいと祈りたくなりました。
帯広の公園の一画にある小さな教会。聖職者はいませんが、自然に祈りたくなります。