翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

目的を持たず、歩くことだけを楽しみたい

東洋占術では六十干支が一巡りする60日、60カ月、60年が節目。なかでも、生まれたときの六十干支に戻る還暦は、もう一度生まれ変わって赤ちゃんに戻るという意味で、赤いちゃんちゃんこを着るのです。

60歳を超えたら、残りの人生はおまけのようなもの。仕事も引退して、楽しみつつもひっそり暮らそうと思っていました。

しかし、会社勤めと異なり、フリーランスは退職日がはっきり決まりません。依頼されるままにずるずると仕事を続けています。

昨年の秋、「ウクライナ情勢の影響で用紙代の高騰が続き、連載ページを大幅に縮小する」と連絡があり、長い付き合いだった出版社からの受注が途切れました。この一年ほど取り組んできた易の本も先日、入稿を終えて後は校正だけです。

待ちに待った自由な日々のはずなのに、想像していたほど心が弾みません。それどころか、社会から用なしの刻印を押されたように感じます。大量の仕事をこなしていた日々は、締め切りを守ることと記事の評価だけを気にして、面倒なことは何も考えずに済んだのですから、ある意味、楽だったかもしれません。仕事一筋だったサラリーマンが定年後うつになるのも、わかるような気がしてきました。

 

8月下旬からスペインの巡礼に行こうと思い立った理由の一つも、計画とか目標が欲しかったからです。調べること、準備することがたくさんあって、時間を持て余すことがありません。

 

準備の一つが長距離を歩くトレーニングです。先日の御岳山もそのつもりで行ったのですが、私はただ歩くのを楽しむことができません。自然に興味がないからでしょう。体を動かすなら、断然、ダンスです。

早起きも苦手。山好きの人は、できるだけ早く歩き始めるために始発に乗るのでしょうが、そこまでの気力がありません。モンベル好日山荘で取り揃えた登山ルックで、間の抜けた感じでお昼近い中央線の下りに乗っています。

 

御岳山は登山道もあるのですが、バス停からケーブルカー駅の急勾配で弱気になり、ケーブルカーで上りました。武蔵御嶽神社をお参りして、宿坊のチェックインの三時まで時間が余ったので、ロックガーデンまで歩いてみることにしました。

 

岩の合間を水が流れていて、陰陽五行の「金(岩)から水が生じる」というエネルギーの流れが実感できる場所でした。

 

しかし、同じ風景ばかり続くし、そろそろ引き返したくなりました。

 

『トレイルズ「道」と歩くことの哲学』に、北アメリカからヨーロッパ、モロッコに通じるスケールの大きい長いハイキング・トレイルのルートを描くというプロジェクトが出てきます。

 

 

アメリカ人の著者は、景色のいい道を探そうとするのですが、その意図が現地ガイドに伝わらず、近道に案内するのです。モロッコでは自然は愛でるものでなく克服すべきもの。わざわざ山をハイキングする人などおらず、徒歩は車を買えない貧しい人の移動手段です。

私の感覚はモロッコ人に近いのでしょう。

 

そういえば、スペインの巡礼の話をすると「歩いているうちに見たいところが次々に出て来て、予定通りに進まないのでは」と言われたことがあります。

観光スポット巡りに興味のない私は、予定がこなせないのは肉体的疲労のためだろうと考えていました。

熊野古道の中辺路で一緒に歩くことになったジェシーとケイトに「私たちは景色を楽しんだり写真を撮ったりして時間がかかるから、先に行きたくなったらご自由にどうぞ」と最初に言われました。彼女たちはただ歩く楽しみを知っていたのです。

 

ただ歩くことを楽しむ。これができるようになったら、何もしないでも生きていることを肯定できるようになるのでしょうか。そして、あれほどエネルギーを注いできたライター業は、ChatGPTに取って代わられるものだと知っても、心安らかでいられるでしょうか。