翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

死者と歩く

寒い日が続きますが、春に向けての計画を立てています。

3月に熊野古道を歩くことにしました。スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼に匹敵するのは四国遍路だと思っていたのですが、熊野古道が姉妹道となっていました。共通の巡礼手帳も発行されており、海外からの巡礼者を積極的に受け入れているようです。

スペインには行けるかどうかわかりませんが、和歌山なら羽田から南紀白浜空港へ直行便があります。

 

春分の日に出発することにしました。本来なら、実家の仏壇に手を合わせたりお墓参りをするべきなのでしょうが、私なりの供養が巡礼です。

bob0524.hatenablog.com

 

森知子さんのスペイン巡礼体験記の続編にも、死者の供養のために歩く話が出てきます。

 

森知子さんが再び巡礼路を歩いてみようと思ったきっかけは、お母さんとの死別です。四十九日が済んだところで「一周忌には戻ります」とお父さんに告げて旅立ちます。

「カミーノを歩いて、気がすむまで泣けば旅がきちんと終わるんじゃないか」

何種類もある巡礼路のうち、選んだのはバスク地方から海沿いを44日間1000キロ歩く「北の道」。季節は巡礼者が滅多に歩かない11月。寒くて雨ばかり降るハードな道のりですが、最愛の母の死を受け入れるにはそうせざるを得なかったのでしょう。

この時、森さんは韓国人の青年と出会います。青年の背には1メートルの長さの木の十字架。

青年は高校教師で、セウォル号沈没事故の生存者でした。同じ船に乗って亡くなった生徒たちのためにわざわざ冬の過酷な時期に十字架を背負って歩いていたのです。

引率の教師という立場なら、いっそ亡くなったほうが楽だったかも。学生の親と対峙するのも修羅場だっただろうし。

 

その後、森さんはボランティアとして巡礼宿で働き始めます。ボランティア仲間に50代のスペイン人男性がいて、それまでに19回も巡礼路を歩いているとのこと。なぜそんなに歩いているかを、本人ではなくルームメイトから聞かされます。

15年前に、息子さん(当時19歳)を交通事故で亡くしているから。親にとって子供に先立たれることほどつらいものはないでしょう。しかも、人生これからという19歳で。

 

こうした話を読むと、天寿を全うした両親のために歩くのはそれほど切実な動機ではないような気がしてきますが、とにかく歩いてみたい。

どれだけ長く歩いたからといって世界が変わるわけではなりません。それでも死者のために人は歩くのであり、私もその列に加わることにします。

 

2019年秋のスペインでは快晴の日々が続き、何もかも美しく感じました。

お彼岸の熊野古道、飛行機や宿の手配があるので、天気予報を見て決めるわけにいきません。とりあえず一歩踏み出します。