翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌やビジネス誌の原稿書きを30年。現在はリタイア生活へ移行中。2023年秋、スペイン巡礼(フランス人の道)。2025年夏、ガルシア=マルケスの作品舞台となった地を一目見たくてコロンビアへ。ウラナイ8https://uranai8.jp/で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。おかげさまで四刷になりました。

過度に恐れず、油断せず

コロンビアには一生、行くことはないだろうと思い込んでいたのは、ガルシア=マルケスの『誘拐の知らせ』を読んだから。

 

ノンフィクションですが、ガルシア=マルケスの筆力でぐいぐい読ませます。

 

コロンビアは世界一のコカイン生産国。麻薬密輸組織は巨大なカルテルへと成長し、最大の得意先はアメリカでした。

1980年代から90年代にかけて麻薬問題が深刻化したアメリカでは、密輸グループをアメリカに引き渡すようにコロンビアに要求しました。密輸犯たちはアメリカに引き渡されると長い刑期を課せられます。そこで、自国内で投降してコロンビアの刑務所に入ることを選択。自国内なら、看守を買収して刑務所暮らしを快適にし、麻薬取引も続けられると踏んだから。少しでも条件のいい投降のため、交渉手段として政府要人やジャーナリストの誘拐が頻発したのです。

 

国会議員を夫に持ち、PR会社で働くマルーハと義妹のベアトリスが誘拐されたのは1990年11月。解放後、マルーハと夫がガルシア=マルケスに情報を提供してこの本が書かれました。

 

マルーハとベアトリスが連れて行かれた家にはマリーナという女性も監禁されていて三人の共同生活が始まります。

まず、マルーハの精神的な強さに感心しました。背景には遅かれ早かれ必ず夫が解放してくれるという強い信頼感がありました。そして、極限状態を生き延びるための工夫の一つが解放祝いのパーティーの企画。

 

「いつの日か、三人いっしょに、好きなだけ煙草を吸ってコーヒーを飲みながら、ここでのひどい毎日のことを笑って話せるようになったら最高よね」というマルーハに、ベアトリスもマリーナもずいぶん励まされたことでしょう。

パーティー会場はマルーハの家のテラス。料理の才能があるマリーナが豪華なメニューを考えます。最初は遊びとして始めたことだけど、徐々に本気になって、お互いに化粧をしたり、記者会見に備えて答えまで練習しました。極限の状況でも、希望があれば人間は生きられるのです。

 

そして『百年の孤独を歩く』という本の一節にも震え上がりました。

著者は南米文学の研究者。現地の友人の運転する車でガルシア=マルケスのゆかりの地を巡ろうとしたら、ホテルの支配人から「日本人が乗っていると知られると危ない。帽子とスカーフ、サングラスで日本人だとわからないようにしなさい」と忠告されたのです。

 

万一、誘拐されたら、監禁の恐怖より日本のネットで叩かれるほうが怖い。2003年に起きたイラク日本人人質事件でのバッシングを思い出します。ジャーナリストやボランティアでもあれだけ叩かれるのに、単なる旅行者だったらもっと炎上しそうです。

 

出発前の6月に起こった衝撃的な事件。大統領候補者の議員の暗殺未遂です。命は助かったものの意識不明の重体が続いていると聞きました。

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『誘拐の知らせ』では3組の誘拐事件が描かれていますが、そのうちの一つ、女性ジャーナリストのディアナ・トルバイ氏の息子です。1991年、ディアナは救出作戦中に殺されています。

今回の事件は多くの国民にとって「麻薬王」パブロ・エスコバルらが政府に圧力をかけるために政治家を標的にしていた、かつての暴力的な時代を想起させるものとなった。

 

初めての中南米だし、安全策をとって現地の日本人ガイドをお願いして『百年の孤独』の舞台であるアラカタカまで専用車で向かいました。

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「ホールドアップされた時のために現金と古いスマホを用意するように。使っていないスマホでも向こうはわからないから」「歩きスマホはしないように。iPhoneは狙われる」と言われました。車中でも怖い話を聞かされたのですが、結局、恐れていたようなことは何も起こりませんでした。

 

コロンビアに慣れてくると首都のボゴタや国際都市のカルタヘナでは東京よりリラックスして過ごせました。何よりコロンビアの人は明るくて親切で、注文や会計でスペイン語がわからず手間取っても、嫌な顔をされたことがありません。帰国後、大混雑の新宿駅を歩いた時のほうが「改札でSuicaが反応せず列を止めたら後ろの人がイライラするんだろうな」と恐怖を感じました。

 

みんな普通に路上でスマホを使っているし、記念写真スポットにできた行列では、スマホを次の人に渡して撮影してもらっていました。

 

バランキージャ出身のシャキーラの像を撮影していたら、若い女性から「写真を撮ってあげましょうか」と声をかけられました。コロンビアに着いて3日目だったので警戒して断りましたが、今思えば親切心から声をかけてもらったような気がします。日本人が珍しかったのか、「一緒に写真を撮りましょう」と声をかけられたり、店に入ると日本の曲を流してもらったこともよくありました。

 

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もちろん、今回無事に帰国できたのは運がよかったから。日本にいても運が悪ければ危ない目に遭うでしょう。過度に恐れることはありませんが、無防備で隙だらけではトラブルを招きます。中庸の道を選んで、この世界を探索したいものです。