BS-TBS「SONG TO SOUL」、年末に「We Are The World」を取り上げたので、ボブ・ディランがちらりとでも出るかもしれないと期待して観ました。
アフリカの飢餓を救おうとミュージシャンが立ち上がるのは、イギリスの「Do They Know It's Christmas」(1984年)がオリジナル。
翌年の1985年、アメリカでも何かやるべきだと考えたのがハリー・ベラフォンテ。プロデューサーのケン・クレイガンに電話したのがすべての始まりです。
当初、ベラフォンテはコンサートを考えていたのですがクレイガンは「ボブ・ゲドルフが道を示してくれたじゃないか」と、複数のミュージシャンによるレコーディングを提案しました。
時あたかもクリスマス直前。セレブたちが高額なプレゼントを探すタイミングです。宝石店でスティービー・ワンダーがライオネル・リッチーの前妻であるブレンダとばったり会うといった偶然もあり、話は一気に広がっていきます。
クインシー・ジョーンズまで話が伝わり、マイケル・ジャクソン、ダイアナ・ロスの参加も決まります。
1月28日ならアメリカン・ミュージック・アワードがあるから、一気にミュージシャンが集められます。
それぞれのミュージシャンの背後には巨大な利権があり、一緒にレコーディングとなると、弁護士を立てて膨大な契約書を作成するところでしょうが、飢餓救済という大義名分の下、1ヶ月で実現したわけです。
権利上の問題より大きかったのが、それぞれのミュージシャンのエゴの問題でしょう。
サビを歌うのはマイケル・ジャクソンとダイアナ・ロスということで納得しても、当初の計画の2倍以上の45人が集結したので、ソロを歌わずコーラスだけで終わる歌手も出てきます。
クインシー・ジョーンズが参加者へあてたメモの一節。
Checking your ego at the door.
(ドアの外に自分のエゴを置いてくるように)
checkはレストランでコート、空港で荷物をあずける時に使う言葉。エゴを完全になくすことはできないけれど、この録音スタジオだけではエゴを手放してほしいという意味です。
そして、この一節を最も忠実に実行したのがボブ・ディランです。
1962年にデビューですから、1985年当時でも大御所の域に達しているはずなのに、レコーディング形態に慣れていなかったのか、自分の声で歌えなくなったのです。
もっとも、ディランは歌い方も声の質も変えることがあり、意識してやったのかもしれません。でも、ライオネル・リッチーとクインシー・ジョーンズは「まったくディランの声じゃない」と、ディランのパートをピアノで弾いて歌唱指導をしたというのです。
ディランは怒るどころか「ああ、なるほど」と、素直に指導に従って歌ったそうです。
すばらしい。さすがディラン先生。
ディラン先生のブートレッグ・シリーズの最新版「ザ・カッティング・エッジ1965-1966」。
2枚組と6枚組で迷いましたが、6枚組を購入。ディスク3は、Like a Rolling Stoneの15テイクと4トラックで、まるまる転がる石という過激な構成。同じ楽曲を何回も聞かせるという拷問があるそうですが、このCDの場合はテイクごとに微妙に違うので聞き分けるのが楽しくなります。
4月にはディラン先生の東京公演もあります。
かつては、「ライブハウスでやりたい」というディラン先生の希望で、まったくステージが見えない苦行のような年もありましたが、今回は「劇場でやりたい」とのことで、渋谷のオーチャードホールになり、ほっとしています。