翡翠輝子の招福日記

本業は女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)、ビジネス記事翻訳。副業で外国人に日本語を教えていましたが、2019年3月で卒業。フィンランドが大好き。ウラナイ8所属。

裏切者ロビーの選択 ザ・バンド『かつて僕らは兄弟だった』

数年前、母がお世話になっていた高齢者の施設に面会に行った時のことです。

施設主催の唱歌や民謡イベントには見向きもせず、食い入るように美空ひばりコンサートを映すテレビ画面を観ている老婦人がいました。私の将来の姿のよう。どこに入所するにせよ、ザ・バンドの『ラストワルツ』のDVDは必携だと心に念じました。

 

『ラストワルツ』、何度見たことか。

1976年11月25日、サンフランシスコで開かれたザ・バンドの解散コンサート。ボブ・ディランエリック・クラプトンジョニ・ミッチェルヴァン・モリソンニール・ヤングなど錚々たるミュージシャンが一堂に会しました。

 

彼らの記録映画が公開されたので、吉祥寺のアップリンクへ。


映画『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』予告編

 

語るのは、77歳になったロビー・ロバートソン(左から2番目)。5人のうち3人はすでに死去しています。

メンバーは解散したくなかったのに、ツアーに疲れたロビーが強引に解散に持っていき、豪華ゲストのライブを企画してマーティン・スコセッシに撮影を依頼。そのおかげですばらしい音楽映画ができたわけですが、ザ・バンドのファンからロビーは裏切者と呼ばれてきました。

最も繊細だったキーボード担当のリチャード(左端)は解散後に自ら死を選び、ベースとボーカル担当のリック(右から2番目)は不摂生な生活がたたり、12月の寒い朝、この世を去りました。メンバーの中で唯一のアメリカ人だったドラム担当リヴォン(中央)を兄と慕ったロビーだったのに、印税の配分でも揉め、再会したのはリヴォンが末期がんで死の床にあり意識不明に陥った状態でした。

 

ロビーはどうして強引にザ・バンドを解散したのか。

映画を見ると、その理由がひしひしと伝わってきます。

1970年代という時代背景もあるのですが、アルコールとドラッグに溺れ、飲酒運転で事故を起こしたり、ドラッグが抜けずステージに立てなくなるようなメンバーと活動を続けるわけにはいかないと思ったのでは。聡明な妻との間に子供も生まれたロビーは、朝の10時から作曲に取りかかるような勤勉なタイプで、ザ・バンドのメンバーとともに破滅の道へ進むのは絶対に避けたかったのでしょう。解散後はザ・バンドボブ・ディランと過ごしたウッドストックを引き払い家族で高級住宅地のマリブに転居したのも象徴的です。

 

ロビーはトロント生まれで母はネイティブ・アメリカン。母の故郷の居留地では生活に溶け込んだ音楽に触れ、ギターの猛練習を始めました。母とともに継父から殴られる悲惨な少年時代、固く誓ったのは音楽界での成功です。

16歳でアメリカ南部に渡り、ロニー・ホーキンスのバックバンドに入ったので、高校も卒業していないはずですが、ビジネスセンスは抜群。ザ・バンド解散後も映画の音楽監督やギタリストとして活躍しています。実の父親はトロントの裏社会で暗躍したユダヤ人ギャング。父の兄弟からショービジネスに関する教えを得たのかもしれません。

 

ウラナイ8の一周年記念イベントで、杏子さんが「運気は伝染んです」という話をしたのを覚えています。一族郎党の運気は似通ったものになり、掃き溜めの鶴は存在しないという話。幸運に恵まれたかったら、低迷した一族を離れるしかない。

兄弟のような固い絆で結ばれた仲間を断ち切るのは並大抵のことではなかったのでしょうが、ロビーは強い意志でやってのけたのです。

 

『ラストワルツ』で、ロビーはこんなことを言っています。

「ハンク・ウィリアムズ、バディ・ホリーオーティス・レディングジャニス・ジョプリンジミ・ヘンドリックス、そしてエルヴィス。みんな音楽に死んでいった。そんな人生は絶対に不可能だ。もう降りる」

 

ロビー以外のメンバーは酒と薬漬けだったと書きましたが、例外がいます。

ガース・ハドソン。大学で音楽理論を学び、保守的な家族からバンド活動を反対されたので、当初は音楽のレッスンという名目で1ドルの授業料を徴収していたそうです。ガースはウッドストックにとどまりましたが今も健在で堅実に音楽活動を続けています。確固とした軸があれば仲間の運気に影響されないという稀有な例です。

 

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 函館の市電を降り、谷地頭温泉に向かう途中で目にした建物。日本のビッグピンク!

ウッドストックの大きなピンクの建物には防音の地下室があり、ディランとザ・バンドはそこをレコーディングルームとして使っていたのでした。