翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年秋、スペイン巡礼(フランス人の道)。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。おかげさまで四刷になりました。

「私は観音である」

四万温泉の積善館で見た夢が楽しかったので、また泊まりたくなったというのが前回の話。
夢の世界は深くておもしろいけれど、人に伝えるのはむずかしい。そして、夢見の後にしっかり意識しないと、あっという間に忘却のかなたに押しやられていきます。

4月から始まった十牛図(The ten cow-herding pictures)の講座。

悟りについて、鈴木大拙のこの言葉が印象に残りました。
Realizing that the peace we are seeking so eagerly after has been there all the time.
「熱心に探していた平安は、最初からあった。悟りとは、それに気が付くこと」というステファン先生の解説。

アラン・コーエンにも『人生の答えはいつも私の中にある(I had it all the time)』というタイトルの本があります。

講座と並行して読んでいる本に夢の話が出ていました。

『今昔物語』の「信濃国王藤観音出家語」という物語が紹介されています。

薬湯の出る村の住民が見た夢。
誰かが「明日の午後二時頃に観音様がこの温泉に来る」というので、「どのような姿で来られるか?」と問うと、40歳ぐらいの武士で、容貌や衣装なども詳しく教えてくれました。
翌日、村人は温泉に集まり、観音様を待ちます。
そして現れたのが夢で聞いた通りの武士。一同が拝むと武士は驚き「自分は落馬してケガをしたのでこの温泉に来た」と話します。
それでも村人たちはひたすら拝むので武士は「それなら自分は観音なのだ」と出家を決意。その後、比叡山に行き僧になりました。

この話がすごいのは、夢のお告げといっても、自分が見た夢ではなく、見ず知らずの他人の夢をそのまま受け入れるところです。
もともと武士の中に仏を求める心があったからこそ、出家という流れになったわけであって、まったく信心と関係ない武士なら、笑い話で済ませたでしょう。

自分の中に眠っているものは、自分でも把握できません。
それにどれだけ気づくことができるかで人生の道筋はがらりと変わっていきます。


四万温泉には誰でも入れる無料の温泉や足湯もあり、周囲を探索するには手ぬぐい必須です。水の流れる音を聞きながら入った川沿いの足湯。