翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

四万の病を治す温泉に積善の宿あり

群馬の四万(しま)温泉、積善館に行ってきました。


千と千尋の神隠し』の舞台モデルのひとつとされる古い湯治宿です。
橋を渡って本館、その奥に山荘、さらに佳松亭があります。三つの建物は階段やエレベーターでつながっているのですが、山の傾斜に沿って増築されたため、迷路のようです。

柳原白蓮も宿泊したという山荘と迷ったのですが、本館に泊まることにしました。江戸時代から続く湯治宿です。佳松亭の「杜の湯」は快適でしたが、お湯の力が最もあるのは本館の「元禄の湯」のような気がしました。

第19代亭主による「館内歴史ツアー」にも参加しました。
今でこそ温泉というと歓楽地ですが、江戸時代の人々にとっては湯治の地。電車もバスもない時代、標高700メートル以上の四万温泉までやって来るのは、病に苦しむ人々でした。

なにしろ四万温泉は、源頼光の家臣、碓井貞光が夢で「四万の病を治す冷泉」とお告げを受けたという言い伝えもあり、最後の希望を持って湯治に来る深刻な病人も多かったことでしょう。湯治宿は自炊が基本でしたから、米や味噌は馬で運んだそうです。

明治になり、上野・渋川間に鉄道が開通したことでかなり便利になりましたが、それでも渋川から四万温泉まではかなりの道のりです。

今は東京駅の八重洲口から四万温泉行のバスが毎日運行され、朝9時に東京を出ればお昼過ぎには到着です。

ここ数年、親友の優春翠の実家にお邪魔することが多く、島根の温泉を堪能し、この春には温泉津温泉に行きました。

二人で「輝雲荘」というきれいなホテルに一泊したのですが、「年を取って湯治するなら、古い宿がいいかな」という私に優春翠は「多分あなたは大丈夫だろうけれど、あまり古い宿に泊まると、病に苦しんだ病人の念を感じて苦しくなることがあるかも」と言います。
第二次大戦直後、島根の温泉で療養した広島の被爆者もたくさんいたのです。

そんな話を思い出し、積善館の本館には江戸時代からの湯治客の念が蓄積されているかもとちらりと思ったのですが、一泊なので気にしないことにしました。

それに「積善館」は、とてもいい名前です。
易経』に「積善の家には必ず余慶あり」という言葉があります。善行を積み重ねた家には、必ず幸せが訪れるという意味です。病に苦しむ多くの湯治客を受け入れてきた積善館は、感謝されこそすれ、マイナスの念が渦巻いているわけがありません。
積善館の精神は今も受け継がれ、本館宿泊客は自由に佳松亭や山荘の浴室を使えますし、チェックイン後も元禄の湯に入ることができます。

部屋ではぐっすり眠れ、フィンランドの友人たちが出てくる楽しい夢も見ました。夢見のいい宿は私と相性がいいのです。次回はぜひ長めに滞在したいものです。


本館と山荘をつなぐ「浪漫のトンネル」。一瞬、千尋のように不思議な世界に迷い込みそうな気がしますが、目指すは佳松亭のお風呂です。