ヘンリク君と張さんの結婚祝いの会を終えて思い出したのが、映画「東京物語」の笠智衆の台詞です。
妙なもんじゃ。自分が育てた子どもより、言わば他人のあんたのほうがようしてくれた。
尾道からはるばる上京した両親(笠智衆と東山千栄子)を長男(山村聰)と長女(杉村春子)は歓迎しつつも、自分たちの生活を優先します。心を尽くしておもてなしをしたのは、戦死した次男の妻・紀子(原節子)でした。
笠智衆と原節子の演技に見とれて美談のように感じましたが、夫が亡くなっても舅と姑に仕えるなんて、女性にとっては抑圧的な話です。
こんな前近代的な映画が日本だけでなく世界から高い評価を得ているのが不思議だったのですが、『東京物語と小津安二郎:なぜ世界はベスト1に選んだのか』を読んで腑に落ちました。
愛の記憶は人を支える。人生最良の日々の記憶は人を支える。
亡き夫との愛の記憶が彼女を支えているとすると、夫との生活の記憶を汚すような行為はできない。嫁としての義務を完璧に果たすことが、夫と暮らした日々の記憶の美しさを守り、夫との絆を守ることになる。たとえ、それがすでに現実的には不自然な行為であったとしても。
ヘンリク君を迎えたのは、フィンランド人の友人を作りたいという私欲からですから、完璧なホストファミリーを演じました。
一方、フィンランドのグローバルエリート家系で育ったヘンリク君は一族の中で初めてアジアを留学先に選びました。日本語の習得以上に、いかに現地の日本人と調和的な関係を築くかを両親から期待されて来日。両者の利害が一致して私たちはいい友達となりました。ヘンリク君が来日するたびに旧交を温め、台北で張さんも紹介され、彼らが新婚旅行先に選んだ東京でも完璧なおもてなしを目指しました。
小津の「東京物語」で映画の道に進んだアキ・カウリスマキと同様にヴィム・ベンダースも小津を敬愛し、小津の足跡を追ったドキュメンタリー『東京画』を手がけています。「PERFECT DAYS」で役所広司が演じた主人公は平山。小津の数々の映画で笠智衆が演じた名前です。
両親を送って、もう血縁の関係は卒業しました。うちの家系は世俗的には成功しても、病的な面が強くて自殺者ばかり出しています。自殺未遂者が「呪われた家系」と言うのにぞっとしました。呪いからは逃れられないかもしれませんが、ヘンリク君と過ごした最良の日々の記憶で完璧な役を演じ続けたいものです。

スペイン巡礼の質素な宿。フロント近くでメールをチェックしていたら、スイカの差し入れが。全員へのサービスではなく、たまたまでした。スイカがあまりにもおいしくて涙が出そうに。血縁ではなくても偶然の好意で満たされることもあるから、この世は生きる価値があるのです。