仕事がほぼ引退状態で暇になったせいか、意識して人に話しかけるようにしています。忙しい人に話しかけるのは老害なので、レストランやカフェなら、お客さんが少なくてスタッフにゆとりのある状態に限っています。「ごちそうさま」だけでなく、何がどんなふうにおいしかったかを伝えます。
そして大切なのは、話しかける内容。よかったところを伝えるのです。悪かったところは言いません。
東京は人が多いから、なかなか話しかける機会がありません。支払いを済ませたらさっさと立ち去らないと次に並んでいる人を待たせてしまいます。
先日の釧路の旅では、街歩きツアーの帰り道でガイドの大島さんに話しかけたことで、貴重な体験ができました。
釧路名物、和商市場の勝手丼。
ご飯(または寿司飯)を買って、好きな海鮮魚介ネタを選んで載せてもらいます。ネタごとに値段が付いており加算していくシステムです。受け取る時にお礼を言い「計算が上手ですね。時価で値段が変わることだってあるから大変でしょう」と付け加えます。相手の仕事を特別なことだと認めるのです。
根室はな丸と納沙布岬に行った日、釧路に戻るJRの発車まで時間があったのでGoogleマップで調べてカフェ・マイウイングへ。


「山小屋みたいで素敵ですね」という一言から、話が広がりました。
コーヒー店を開きたかった店主が、40年前に自ら建築したログハウス。協力者を募り、建築許可を取ったり、当時日本になかった塗料をアメリカから輸入した話など。観光名所より、こうした話が記憶に残ります。利尻島の昆布漁師さん、礼文島のカメラマンのクリストファーさんとも印象深い出会いとなりました。
東京では見ず知らずの人にあまり話しかけませんが、同じ日本でも関西はけっこうフランクです。スペインはもっと濃くて、効率性などそっちのけでおしゃべりを楽しみます。世界中から巡礼者が集まるカミーノでは、共通語であるシンプルな英語を使ってあちこちで会話の花が咲きます。スペインをよく思い出すのは、そうした会話の断片がいつまでも心に残っているから。
司馬遼太郎はマドリードのバルで二人の客とバーテンによる「演劇」を観て「これこそ、スペインだ。この国に来た甲斐があった」と感じ入ります。
スペインのバルでは、地道の常連さんたちがまるで役者のように登場するのを見物できます。
そこまで劇的でなくていいから、何か相手の心を満たすような一言を加えられたら素敵です。介護施設にお世話になることがあっても、職員に「今日のあなたは、こんなところがとてもいい」と声をかける老婆になりたいものです。
アガサ・クリスティー『春にして君を離れ』の主人公ジョーン・スカダモアは、「自分はすぐれた主婦であり有能に家事を取りしきっている。女中たちも私を好きだ」と自認していますが、料理の上手な女中が暇をもらいたいと言い出します。
「不手際だといつもお小言を頂戴し、うまくいった時には何のお言葉もない。これでは情けなくなります」という女中の言葉をジョーンは「ひどくばかげたこと」と受け取った。
「何も言わないということは、申し分なく満足しているってこと」
「そうかもしれないません。ですけど、それじゃあ張り合いがありません。私も人間ですから。ご注文のスペイン風ラグーにはずいぶん骨を折りました。手のかかる料理でございますし。本にあるような献立は私の好みじゃないんですが」
「あれは上出来でしたよ」
「はい、奥様。みなさん、残さずに召し上がってくださいましたから、たぶんお気に召したこととあ思いましたが、何のお言葉もございませんでした」
「ずいぶんくだらない言い分じゃない? 結局のところ、こちらとしては相当のお給料をあげて働いてもらっているのに」
「お給料については申し分ございません」
「ですからね、料理人としての腕前は十分認めています。気に入らないときはちゃんと言います」
「はい、たしかにおっしゃってくださいます」
「それがおもしろくないっていうのね?」
「そういうわけではございません。もう何も申し上げないほうがよさそうですね。ひと月しましたら、お暇をいただこうと存じます。
よかったことはどんどん伝えたいのですが、気をつけたいのは口が滑って自分語りまで話を広げること。自分が話したいことを聞いてもらうには何がしらかの対価が必要だと自戒しています。
ブログがあってよかった。延々と同じようなことを書き続けても、読み飽きた人は閉じればいいだけですから。結局のところ自分のために書いているのです。