先日の宮古島の旅。夜はホテルの部屋でNHK沖縄制作の「うちなーポップス50年史」をおもしろく見ました。
南沙織に始まり、フィンガー5、安室奈美恵、SPEEDと、沖縄の音楽は日本の芸能界に大きな存在感を放ってきました。
島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ
島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙
沖縄を離れた恋人への切ない気持ちを歌うラブソングで、歌っている宮沢和史もてっきり沖縄の人だと思い込んでいました。
しかし、この番組を観て知ったのですが、宮沢和史は山梨県出身。ひめゆり学徒隊の生き残りのおばあさんの話を聞き、彼女一人だけに聴いてもらいたくて作ったというのです。歌詞に込められているのは恋心ではなく、本土の捨て石にされて命を落としていった沖縄の人々の無念。
沖縄出身でないのに、よくこんな曲が作れたものですが、沖縄出身でないからこそ、地域性を越えて多くの人々の心に迫る曲になったのでしょう。
これで思い出したのが、ザ・バンド。アメリカン・フォーク・ロックの代表的なバンドとされていますが、メンバー5人のうちアメリカ人は1人だけで、残りはカナダ人です。アメリカの音楽にあこがれて、最初はロカビリー歌手のバックバンドとなり、次に出会ったのがボブ・ディランです。
そういえば、ボブ・ディランも日本では「フォークの神様」と呼ばれていますが、反戦ソングを歌ったのはベトナム戦争へ批判が高まる中で必ず売れるだろうと計算したからです。フォークを選んだのは、ギターとハーモニカがあれば自分一人で演奏できるから。
フォーク歌手として成功した後は、本当にやりたかったロックに走りますが、ファンはエレキギターを持ったディランに失望し、激怒。イギリスのツアーはブーイングの嵐で「ユダ(裏切者!)」と野次が飛んでくるほど。そのときのバックを務めていたのがザ・バンドです。
ディランはその後も迷走を続け、ユダヤ教からキリスト教に改宗し、奇妙なキリスト三部作も発表しています。
ウラナイ8の玉紀さんがよく言う「自分の歌をうたえばいいんだよ」。
たしかにそうですが、自分の歌はどんな歌なのか、わかってない人が多い。私もまだよくわかりません。
そして、世間からリクエストされる歌が、自分では歌いたくない歌ということもよくあります。文章を書くことが好きだからライターという職業を選びましたが、30年以上のライター人生で自分が書きたくて書いた原稿はほとんどありません。
ただ、「島唄」の背景を知ってわかったのは、持って生まれたものが自分の歌になるとは限らないということ。そして、誰かと出会ったり、異質なものと出会うことで生まれる歌のほうが、素のままの自分の歌より世間に伝わることもあります。
人生も終盤にさしかかっているというのに、いまだに私は自分の歌を探しています。