昔、主婦向けの雑誌のライターをやっていた時も、「居場所」というのは定番のテーマでした。夫と子供がいても、居場所がないという読者の声が編集部に届いていました。
その居場所という言葉が、日本語学校の作文クラスで出てきました。
書いたのは、ポルトガル人学生。
彼の出自はちょっと複雑です。お父さんはポルトガル人、お母さんは中国人。外交官のお父さんが中国に赴任した時にお母さんと知り合ったそうです。
高校時代、AFSで日本に留学したので日本語のレベルはかなり上です。
「どうして中国語じゃなくて日本語を学ぶのか」が彼の作文のテーマ。
学校がきらいだった。中国の学校で「ポルトガルに帰れ」、ポルトガルの学校で「中国に帰れ」と言われ続けた。日本で居場所が見つかった。
あまりにも重い内容に、どう対応していいのかわかりませんでした。
もちろん、最初からこんなに突っ込んだ文章が出てくるわけがありません。数週間にわたって私が質問やテーマを投げかけて彼が返答し、ある程度の関係ができたからこその文章です。
彼にとっては日本が居場所かもしれませんが、日本に生まれた日本人の私だって、日本に居場所があると胸を張って言えません。
超高齢化社会になれば、生産性のない高齢者は目の敵にされ、子供も産んでなければ、社会にただ乗りしている者として、ますます白眼視されるでしょう。
だけど、生産性が高く社会に貢献している人だっていつ転落して、社会のお荷物になるかもしません。
転がる石のように。
Bob Dylan and The Band - Like A Rolling Stone (rare live footage)
バックにザ・バンドを従えた私の一番好きなバージョン。
フォークからロックに転向したディランのイギリス公演はブーイングの嵐。「ユダ(裏切者)!」とまで言われる中、ザ・バンドはディランを守る騎士たちのようだったそうです。
How does it feel?
To be without a home
Like a complete unknown
Like a rolling stone
どんな気がする?
家もなくて、知り合いもいなくて、
転がる石みたいに
浦沢直樹は「YAWARA!」の大ヒットでリゾートマンションを、上機嫌で中学時代から大ファンだったディランのCDをかけたところ、このフレーズが流れました。
「こんなの描いてりゃ一生安泰」から「まずいわ、今の自分」と気づき、ディランが罵声を浴びせているのは自分だ!と衝撃を受けたそうです。
私がこの曲を自分のことだと気づいたのは40代ぐらいだったでしょうか。
自分の限界が見えてきて、もう何者にもなれないとわかったとき。
だから、「どんな気がする?」とディランに挑発されても、「まあ、しょうがないでしょう。ほとんどの人は転がる石だから」と流せるようになってきました。
だから、外国人学生が「居場所がなかった」「居場所は日本」と書いて、それなりに反応していても、心の中で「世界中どこに行っても居場所なんてなから大丈夫」とでつぶやいています。
だいたい、学生から「先生」と呼ばれているものの、「いつまでこの仕事を続けられるか」と考え、教室は決して私の居場所ではないと感じています。だから毎週新しく入ってくる学生、修了していく学生相手には、そんな半分腰が引けた対応でちょうどいいんじゃないでしょうか。
水戸藩の藩校、弘道館。 八卦堂もあるので易経も学んでいたのでしょうか。
昔の人は今みたいにあれこれ迷うことなく一心に学問に打ち込んでいたのでしょうか。
一口に学校といっても、求められるものはどんどん変わっていくと感じました。