フリーランスの仕事から徐々に引退して、旅暮らしを実現しつつあります。
旅に出るのはだいたい平日。週末は宿泊費が高くなるし、スポーツクラブのダンスレッスンを休んでばかりもいられないので自宅に戻るようにしています。
私にとっての理想の生き方ですが、いつまでも続けられるわけではありません。老化で体が弱り旅に出るのがおっくうになったり、あるいは認知症ぎみになって宿や切符の手配ができなくなる日がやって来るでしょう。
「毎年歩こう!」と意気込んでいたスペイン巡礼。計画はまったく進んでいません。
2023年のスペイン巡礼は、私の人生で最高に輝いていた7週間でした。
日本では、働いていない初老の女性は顧みられることがないどころか、社会のお荷物として白眼視されがち。それがスペインでは、はるばる日本から来た巡礼者として温かく受け入れてもらえました。あれほど自己肯定感が上がったことはありません。
毎年のように巡礼路を歩く「カミーノ・フリーク」たちにも出会い、「こんなに楽しいのなら何度も歩きたい」「次はポルトガル人の道」と思いつつ帰国しました。もう週刊誌の連載もないし、何十年も続けてきた月刊誌の翻訳記事もようやく手を離れて、巡礼を阻むものは何もありません。
それなのに、リスボン往復の航空券を予約する気になれません。まず行きと帰りの便を押さえればすべてが動き出すのに。
二度目だと初回ほどの感動はないような気がするし、体力と気力は年々衰えています。スペイン巡礼の予習として熊野古道の中辺路を歩きましたが、和歌山を再訪しても猫のみゃあちゃんと再会できただけで満足。再び熊野古道を歩く気にはなれず南紀白浜温泉でのんびり。「あんな道をよく歩いたものだ」と過去の自分をまるで別人のように感じました。
スペインを歩いていた頃は、巡礼ではなく迎え入れる側になってみたいとさえ願っていたのです。情熱はどこへ行ってしまったのでしょうか。
大谷翔平の「確実に終わりに近づいている」という言葉を思い出しました。
プロのアスリートとして活躍する年月はあまりにも短くて、引退してからの人生のほうが長い。だからこそ、限られた期間の完全燃焼を目指しているのでしょう。
凡庸な人間の活動期間はそれよりは長いけれど、確実に終わりに近づいているのは同じです。

南米では老いや死は避けられないものだと受け入れて悩まないから、骸骨の楽しいモチーフができたのでしょうか。
植島啓司は自らのライフスタイルをこう書いています。
なるべく物を持たず、シェアして暮らし、しばし旅に出て心を癒す。実際の旅ができないようなら、本に入り込んで旅することも可能だし、瞑想の中で旅することだってできる。
なるほど、肉体的に老いて旅ができなくなったら、読書と瞑想か。できるうちにできることを楽しみ、終わりを迎えることにします。