飛鳥Ⅱの沖縄クルーズで最も楽しかったのは、乗組員との交流でした。
日本人クルーは少数派で、部屋の掃除や食事の提供などのサービスを行うのは外国人。機会を見つけては乗組員から情報収集して、クルーのほとんどはフィリピン人だと教えてもらいました。海洋国家のフィリピンでは商船学校も多く、日本船は人気の就職先とのことです。私の父は外国航路の船員で、70年代後半から部下がほとんど東南アジア系になったと言ってましたが、当時もフィリピン人が多かったのでしょう。
タガログ語の挨拶を検索して、「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」「ありがとう」のフレーズを練習。フィリピン人クルーは日本語のレベルが上がるとインセンティブがあるそうで、みんな日本語が上手ですが、タガログ語で声をかけるとと表情がぱっと明るくなります。まるで魔法をかけたように花のつぼみが一気に開花するのです。
朝一番で大浴場に行き、掃除やタオルの補充を担当している若い女性スタッフに「おはよう、ありがとう」と声をかけると満面の笑みで「お上手ですね」と返されました。
そのやりとりを見ていたマダムに「何ておっしゃったの?」と聞かれました。
「この船の乗組員はフィリピン人が多いので、名札を見てタガログ語であいさつしています」と答えると、たいそう驚いたようす。
「これまで飛鳥には何度も乗っているけれど、そんなこと思いつきもしなかった! みんな日本語が上手だから当たり前のように日本語を使っていたけれど、そうね、あちらの言葉を使うと喜ばれるわけね。私にも教えてくださる?」
週刊誌記者という下衆なブンヤ上がりなので、先方に取り入るための手段を駆使するのは習性のようなもの。いかにも飛鳥の常連といったセレブマダムに感心されて恐縮しました。
部屋の掃除を担当するリリーさんからは乗船時にあいさつされました。客室には窓やバルコニーがありますが、クルーの部屋は窓がなく下っ端のうちは二段ベッドの四人部屋だそうです。
「なぜこの船で働くことにしましたか?」と質問すると「飛鳥は世界一の船だから」と胸を張って返答されました。円安で給料が目減りしていないか心配になりましたが、日本郵船はフィリピンに太いパイプを持ち優秀な人員をしっかり確保しているようです。
豪華船のクルーズなんていかにも金持ち風で最後までなじめなかったけれど、職場に誇りを持って働くフィリピン人クルーはみんな輝いて見えました。そうした体験を得られただけでも飛鳥Ⅱに乗った甲斐があるというものです。