翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年秋、スペイン巡礼(フランス人の道)。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。おかげさまで重版になりました。

心はどこにあるかを常に意識する

過去にこだわらず、未来を夢想せず、今の瞬間に集中する。

そうは言っても、過去を忘れることができないし、明日の予定も気になるものです。
ケネス田中先生の講座では、今を生きるための具体的な訓練も紹介されました。

先生がタイで見習い僧として暮らしていた頃の朝食は、近所を托鉢して集めた食事をお寺の人々で分け合います。

We place the bowl before us. Then we look at the food carefully and take a morsel of food with our hand in a very deliberate manner. We try to feel the texture of the food with our fingers, and then bring the food slowly to our mouth. After placing the food in our mouth, we chew very slowly and savor the food.
まずお椀を自分の前に置きます。それから食べ物を注意深く見て、その一切れをとても意識的な動作で手で取ります。私たちはその食べ物の質感を指で感じるように努め、それからその食べ物をゆっくりと口へ運びます。食べ物を口の中に入れたら、とてもゆっくり噛んでその食べ物を味わいます。

こうしたやり方だと、朝食にだいたい30分かかるそうです。その結果、何を食べたかを正確に意識し、身も心も満ち足りるそうです。

テレビや新聞を見ながら片手間に摂る食事と、なんと違うことでしょう。
先日、おいしいと評判のラーメン屋さんに行ってみたのですが、お客は妙に静かです。スマホを見ながら食べているからでした。
「ラーメンの写真をSNSにアップして、反応をチェックしているから、ラーメンに集中している」といえるかもしれませんが、意識がネットに向かっている状態で、味や食感をリアルに感じられるのでしょうか?

仏教英語講座では、鈴木大拙の名前が時々出るのですが、私がいつも思い浮かべるのは、りんごを食べる鈴木大拙です。

d.hatena.ne.jp

「老師がりんごを食べているところを見たことがあるんです。ゴミひとつ出さずに、まるで彫刻を彫るかのように、きれいに芯まで食べていました。それ自体がまるで芸術作品のようだったんですよ」

目の前のりんごに完全に集中することができれば、それだけで修行となる。

俗世に生きていても、心が今ここにあるかどうかを意識することはできます。

天海玉紀先生の紹介で、昨年から臨済宗坐禅の会に参加していますが、まず教わったのは「呼吸に集中すること」です。そして、心が呼吸から離れて、雑念が浮かんできたら、そうした自分を観察すること。「今の自分は雑念にとらわれている」と意識することで、また呼吸に意識を向ける。その繰り返しです。

学生時代、教室におとなしく座っていても、心は上の空のことが多かった私。今も、仕事をしようとパソコンに向かっていても、つい関係のないネットの画面を次々と追っていたりします。

坐禅の時でなく、生活全般で、自分の心がどこにあるかを意識すること。

ケネス田中先生によると、タイの僧院では、濡れたタオルの干し方も決まっていて、洗濯紐の下にかがんで向こうからこちらにかけるというやりにくい方法を取るそうです。ケネス先生の「なぜそんなにやりにくそうな珍しい方法なのか」という質問への和尚からの答え。

He explained that his way makes us be much more mindful and be in the present.
彼のやり方のほうが、はるかに私たちをマインドフルにしてくれるし、今を生きるようにしてくれるというのです。

りんごを食べたり、洗濯物を干すといった日常生活の中でも、マインドフルに生きるきっかけに気づくことができるのです。

ティク・ナット・ハンの説く"live deeply"にも通じます。

If you abandon the present moment, you cannot live the moments of your daily life deeply.

"abandon the present moment"は、まさに「心ここにあらず」といった状態です。


茶道のたしなみがあれば、お菓子と抹茶も美しくいただくことができるのでしょう…。学ぶことが多すぎます。