翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

終活事始

ボブ・ディランの隠れた名曲の一つ、"Let Me Die in My Footsteps"。
歌詞が政治的すぎるということでアルバムには収録されず、ブートレッグ盤ででやっと聴けました。

サビの部分。

Let me die in my footsteps
Before I go down under the ground.

footstepは「足跡、足音、歩み」といった意味。
"follow in someone's footsteps"は「先駆者の志を継ぐ」となります。

地下に潜る前に、自分のfootstepsで死なせてほしいとはどういう意味か?

この曲が生まれた1960年代前半は東西冷戦下。
ソ連からの核攻撃を恐れてアメリカでは核シェルターが作られていたのです。
「地下のシェルターなんかに入らず、地上で死にたい」、そして「志を貫いて自分らしい死を迎えたい」というメッセージソングです。

桜が散るのを見ていると、「人間も散り際が大事、そろそろ終活を始めないと」という気になりました。
若い友人に話すとぎょっとされるのですが、高齢になって体力も気力も衰えると、終活も面倒になるかもしれません。
終活を始めるのに早すぎることはないのでは。
ディランは20代にしてこの曲を作ったわけですし。

ディランが「地下のシェルターで死にたくない」なら、私は病院では死にたくない。

PPK(ピンピンコロリ)運動があります。死の前日までピンピン元気でいて、ある日コロリと逝く。
終活の手始めに読んだ上野千鶴子の『おひとりさまの老後』では、PPKには懐疑的です。

両親を看とってつくづく思ったのは、人間のような大型動物はゆっくり死ぬということ。小鳥やハムスターなどの小動物のように、ある朝突然冷たくなっていた、ということが少ない。まず足腰が立たなくなり、寝返りがうてなくなり、食べられなくなり、嚥下障害がはじまり、そして呼吸障害が起きて死に至る。このプロセスをゆるゆるとたどるのが人間の死で、そうなれば寝たきり期間は避けられない。

だったら、食べられなくなったところで、静かに横たわったまま衰弱死が理想。
でも病院に入ってしまうと、強制的に栄養補給される危険?があります。
「人工的な栄養補給、延命措置はしないでほしい」と書いておけば希望はかなえられるのか?

私は根っからの医療嫌いのため、病院には関わりたくありません。
母親が健康に産んでくれたおかげでしょうけど、子供時代から家族に「原始人」「野生動物」とからかわれながら、たいていの病気は寝ているだけで自力で治してきました。
この健康な体をフル活用して、やりたいことをやって十分生きてきたので、別に長生きしなくてもいいと思っています。

こんな話を友人にすると「死ぬことまでコントロールはできないよ」と諭されます。
上野千鶴子も、こう書いています。

わたしが尊厳死に疑問をもつのは、自分が元気なときに書いた日付入りの延命拒否の意思など、その場になってみればどう変わるかわからないからだ。人間は弱い。動揺する。昨日考えたことを、今日になって翻すこともある。

同じようなことがスザンナ・タマーロの『心のおもむくままに』にも書かれています。
自宅の庭で倒れて、病院に運ばれた80代の老女。やっと起き上がれるようになった日に、医者とこんな会話を交わします。

「白い壁にかこまれて、ベッドにくぎづけにされたまま一年生きのびるより、わたしの菜園で、ウリカボチャのあいだに頭からたおれて死ぬほうがいいのです」
言いおわったとき医者はもうドアのところにいて、冷ややかな笑みを浮かべていた。
「みなさんそう言いますがね」彼は出てゆく前に行った。
「結局はあわててまたここへ葉のように震えながら、なおしてほしいと言うんです」

この老女は「万一自分が死んでも、責任は自分だけにある」という書類にサインして自宅に帰ります。日本にもこんなシステムはあるのでしょうか?

ともかく、理想の死に方を心に描いておくだけでも、意味があるはずです。

先月の「英語で学ぶ仏教講座」では、妻を亡くしたアメリカ人男性の話が取り上げられました。
ケネス田中先生が、ケーブルテレビで仏教について話す機会があり、番組終了後、司会者のトム(60代半ば)から、30年連れ添った妻を亡くしたショックから1年以上立ち直れなかったという打ち明け話をされます。
「妻の死はまったく予想外でした」というトムに、「しかし、死について考えたことぐらいあったでしょう」とケネス先生は問いかけます。
「もちろん私たちは皆いずれ死ぬことはわかっていましたが、自分や愛する人が突然そんなことになるとは考えたこともありませんでした。死は遠い未来のことでほとんど心をよぎったこともありませんでした」(トム)

人はみんな死にます。
頭ではわかっていても、なるべく考えないようにしたり、まだ先のことだと封印しがちです。
まず死を意識することから終活は始まります。
"Let Me Die in My Footsteps"は私の終活のテーマソングとなりました。


フィンランド、セイナヨキ郊外の伝統的な農家にて。家中の花瓶はすべてアルヴァ・アアルトのデザインの波型です。