翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年秋、スペイン巡礼(フランス人の道)。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。おかげさまで重版になりました。

死者を偲ぶ旅

3年ぶりに島根へ。

 

親友の優春翠の故郷に毎年のように通っていたのですが、日本語教師の仕事に忙殺され間があいてしまいました。

 

今回は煌羅カンナも島根に来ました。彼女とはスポーツクラブ仲間のご近所さん。本業がシナリオライターで副業が占いというのが私と似ています。

6月の友永ヨーガ学院の断食でばったり会いました。4年前に私の体験談を聞いて参加を決めたそうです。まさか知り合いが来ているとは思わず、びっくりしました。

 

bob0524.hatenablog.com

 

断食は自ら望んで申し込むものの、空腹がつらくて「こんなこと、始めなければよかった」といつも後悔します。この会は、煌羅カンナが一緒だったから気がまぎれました。

 

共通の友人で急逝したTさんの話になりました。占いイベントのコーディネイターで、もともとは優春翠の友人です。煌羅カンナにも声をかけたところ、Tさんと意気投合。二人はかなり親しくなり多くの占いイベントをこなしたそうです。

 

Tさんが急逝したのを知らせてくれたのも煌羅カンナです。彼女はTさんの思い出話をしたいようでしたが、残念ながら私は二度お目にかかっただけです。それなら、島根に一緒に行って優春翠と話してみたら、ということで島根の旅が実現しました。

 

私は一日前に到着しドーミーイン出雲でサウナと水風呂を満喫。翌日の午前中に出雲大社にお参りし、午後、大田市に3人が集まりました。宿泊は三瓶山の温泉です。

 

優春翠と煌羅カンナは初対面でしたが、Tさんの思い出話で盛り上がり、気が付いたら午前1時半。Tさんはとても個性的な人で、死後もこうして話題の中心となるのです。

 

「死者は、生きている人に語られると目をさます」と、メーテルリンクの『青い鳥』にあります。

   

おばあさん わたしたちはいつでも、ここにいて、生きてる人たちがちょっとでも会いにきてくれるのを待ってるんだよ。でも、みんなほんのたまにしかきてくれないからね。お前たちが最後にきたのは、あれはいつだったかね? ああ、あれば万聖節のときだったね。あのときはお寺の鐘が鳴って……。
チルチル  万聖節のとき? ぼくたちあの日は出かけなかったよ。だって、ひどい風邪で寝ていたんだもの。
おばあさん でも、お前たちあの日わたしたちのことを思い出したろう?
チルチル  ええ。
おばあさん そらごらん。わたしたちのことを思い出してくれるだけでいいのだよ。そうすれば、いつでもわたしたちは目がさめて、お前たちに会うことができるのだよ。
<中略>
チルチル  おじいさんたちいつでも眠ってるの?
おじいさん そうだよ。随分よく眠るよ。そして生きてる人たちが思い出してくれて、目がさめるのを待ってるんだよ。生涯をおえて眠るということはよいことだよ。だが、ときどき目がさめるのもなかなか楽しみなものだがね。

(「青い鳥」メーテルリンク 堀口大學・訳 新潮文庫

 

Tさんが亡くなって3年になろうというのに、Tさんがすぐそばにいたかのように感じた旅でした。

 

長寿はおめでたいこととされていますが、親しい人に次々と先立たれ、死後、自分を語ってくれる人が誰もいないのはちょっとさびしいかも。目をさますことなく永遠に眠るわけですから。

私は長寿の家系に生まれたため、長生きしすぎるリスクをいつも考えています。日本が超高齢化すると、生産性もなく延々と年金をもらい続ける高齢者は若い世代から邪魔者扱いされるでしょう。

 

今年から終活を始め、生前契約の手続きを進めているところです。

死者を語ることで、残された人生をどう生きるかにも思いを馳せた旅でした。

  

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 翌朝、宿の窓から三瓶山の雲海が見えました。