先日の午後、玄関のベルが鳴りました。
私が住んでいるマンションはオートロックで、ほとんどのベルは1階のエントランスから鳴らされ、誰が来たのか画像でチェックできます。
珍しく、玄関まで誰かが来ているようす。インターホンを取り上げると、すぐ上の階に住む奥様でした。
玄関ドアを開けると、1歳ぐらいの男の子を抱き、片手には菓子折りの袋。
「この子が歩くようになって、音が下に響いているんじゃないかと思い、ごあいさつにうかがいました」とのこと。
築20年のマンションですが、防音はなかなかいいらしく、上の階の音を意識することはあまりありません
迷惑に感じるどころか、こんなに子供を育てにくい今の時代の東京で、よくがんばって子育てしているものだと若いお母さんを応援したくなりました。それに、とても愛想のいい男の子で私にもにこにこしています。
「音は全然、聞こえません。歩けるようになってよかったですね。子供は元気なほうがいいですし、お気になさらないでください」と力説しました。
きらいな人間の立てる音は小さくても気に障るものです。
最初にいい関係になっておけば、たとえ、男の子が大きくジャンプして音が響いたところで、「元気そうだな」とほほえましく思うものです。
人間心理を熟知して、あらかじめトラブルを回避するこのお母さん、若いのになかなかの切れ者だと感心しました。そして、こういう人が近隣に暮らしている幸運をかみしめました。同じマンションに住んでいるのは運命共同体のようなものですから。
風水では家の中心から見た方位別にラッキーカラーのアイテムを置いたり、気が乱れないように掃除や整頓をするのが開運につながるという記事をさんざん書いていました。
でも、その前に大切なのが近隣との関係です。
湯島聖堂で学んだ『晏子春秋(あんししゅんじゅう)』を思い出しました。
中国春秋時代の名宰相、晏嬰(あんえい)は、自分の住居の吉凶を家相や方位ではなく、隣近所にどんな人が住んでいるかで占っていたのです。
英語でもこう言います。
A man is knouw by the company he keeps.
つきあう友を見ればその人がわかる
「運が悪い人とはつきあいたくない」と口にして「同情心というものがないの!」と非難されたことがあります。
本当に運が悪いだけなら、助けたい。でも、大半の人は、自ら運が悪くなるような行動をとっているとしか思えないのです。
鹿児島・天文館には星座が埋め込まれています。
運がいい人は別に占いなんかに頼る必要はありませんが、なぜかうまくいかないことが続くなら、視点を変えるために占いからヒントを得てみるのもいいかも。