天海玉紀さんと夏瀬杏子さんのおかげで、冬至に南阿佐ヶ谷のウラナイ・トナカイで開催する年筮の会。
陰が極まって陽が生じる冬至は、易者にとって一年のスタート。一年間の成り行きをみる卦を立てます。
「64卦の何爻がだから、一年の運勢はこうなる」というよりも、得た卦がその人にとってどんな意味を持つかを考えて、どう行動すればいいのかを探っていきます。
今年は午前と夜の二部制。連続して参加してくださる方もいて、去年の卦の意味を確認して、今年の卦を立てていきました。
慣れない手つきで筮竹を持ち、得られた卦の見慣れない漢字の意味を考える参加者の姿は、日本語学校の作文クラスの外国人学生と同じだと思いました。
私の教えるクラスは、同じ内容を全員が一斉に学ぶのではなく、各自が表現したいことを日本語のレベルに応じて書くというスタイルを採用しています。
易の理論をすべて講座で伝えたり、外国人学生に基礎から日本語文法を積み上げていくのは時間がかかるし、途中で挫折する人も出るでしょう。
まず自分が知りたいこと、表現したことに必要な手助けをするのが講師の役割で、一般的な理論ならネットや本でいくらでも独学できます。
日本語学校の作文クラスにはハンガリー人の優秀な学生がいて、彼の作文ネタのためにハンガリーに関する話題を集めるようにしています。
「ピレネーの地図」は、そうして知りました。
ハンガリー軍がアルプス山脈に偵察隊を送り出した。吹雪となり、偵察隊は2日間戻って来なかった。遭難して凍死したのではないかと思われていたところ、3日目に偵察隊は帰還した。
偵察隊の話。
「道に迷い、もうだめかと思ったが、隊員の一人が地図を持っていた。我々は冷静になり、野営して吹雪をやり過ごし、地図で帰り道を見つけた」
ところが、その地図はアルプスの地図ではなくピレネーの地図だった。
この話の真偽は定かではありませんが、どこに向かっていいかわからない時、とりあえず地図があると思えば、冷静になれます。
生きていくことは選択の連続で、私たちはいつも迷います。そして、決断を下した後に「別の道がよかったのでは」と後悔することも少なくありません。
合理的、科学的であることを尊重する人は、占いを迷信に過ぎないものだと馬鹿にします。
易にしても、筮竹を二つに割って片方の本数を数えて未来を予測したり、誕生日とか手のひらのしわで人生を読み解くなんて未開の地の原始人がやりそうなことです。
それでも、混とんとした人生には、偽物でも、とりあえずの地図がほしい。そんなことを思った冬至の夜でした。
そして、私も昨日得た卦を一年間の指針として過ごそうと思います。
羽田空港から見た富士山。