フィンランド旅行の準備として、アキ・カウリスマキと宮崎駿、そして小津安二郎の作品を観ています。
「カウリスマキ、小津を語る」の最後はこう締めくくられます。
The epitaph on my grave will be "I was born, but".
(私の墓碑銘は「生れてはみたけれど」となるでしょう)
カウリスマキは3本の小津映画に触れています。
ロンドンで兄に観せられて、映画への道を志すと決めた「東京物語」。そして小津のカラー第一作「彼岸花」のエピソードから、映画への情熱を「赤いヤカンを探す」と表現しています。
http://d.hatena.ne.jp/bob0524/20120823/1345647981
3本目が「大人の見る繪本 生れてはみたけれど」。
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国内では515事件、海外では1929年の世界大恐慌があり、大混乱の時代だったはずなのですが、主人公の兄弟の生活は平和そのものです。
自分たちの父親はえらい人だと信じていたのに、上役にぺこぺこする姿を見て失望するというほろ苦いストーリーですが、全体的に牧歌的な映画です。
それなのに、なぜタイトルが「生れてはみたけれど」なのか?
映画の舞台となったのは大田区。池上線や目蒲線ができ、都心で働くサラリーマンの住宅地として発展しつつありました。主人公の一家も麻布から引越してきています。
その後の歴史を知る者から見ると、この映画に描かれた世界は、戦前の束の間の平和であり、だからこそ胸に迫るものがあります。
第二次大戦の後の空襲で大田区は壊滅状態となりましたから、兄弟が暮らした家も焼け落ちたでしょう。父親も兄弟も招集されて、南の島で命を落とす運命が待ち受けていたかもしれません。
子供たちに「えらくなってほしい」と願った母親は、空襲を生き延びることができても、我が子の戦死の知らせを受けることになったのではないか。
カウリスマキが紹介してくれなかったら、この小津作品を観ることはなかったでしょう。
結局、私たちの人生は振り返ってみると「生れてはみたけれど "I was born, but"」という一語に集約されるのかもしれませんが、それまでのドラマは人それぞれです。