ホストファミリーとして受け入れたクラウス君は2週間の日本滞在を終えて、オランダに帰りました。
お盆の時期の急な申し込みでホストファミリーが見つからず、我が家で受け入れることになりました。
私が教えている日本語学校の学生はヨーロッパの富裕層の子女が多いのですが、クラウス君もそうした一人です。
クラウス君の滞在中に身内に病人が出て、帰省せざるをえなくなりました。「外国人留学生を預かっているから」と先延ばししようとしたのですが、身内からすると「親族よりも外国人のほうを優先するのか」とあきれられたことでしょう。
でも私にとっては、オランダからはるばるやってきたクラウス君の日本滞在のほうが優先事項でした。クラウス君のお父さんの職業は裁判官。将来、オランダ安楽死ツアーの保証人になってくれるかも。打算的にそんなことも考えたりしました。
ある日、クラウス君と雑談したときのこと。
「きょうだいはいるの?」
「一人っ子。父と母は晩婚だったから」
お父さんが裁判官であることもこのときに聞きました。
「じゃあ、お母さんは?」
「母は、半年前に亡くなった」
私はひどく狼狽して「ごめんなさい、悪いことを聞いて」と謝ったのですが、クラウス君は淡々としていました。
”These kind of things happen.”
どう訳したらいいのでしょう。「そういうことって起こるものだ」? クラウス君は自分の不幸を嘆くよりも、あわてふためいている私を気遣ってくれました。
パズルの最後のピースがはまったように、クラウス君について、なんとなく不思議に思っていたことの答えが出ました。
ぎりぎりの日本留学申し込みは、いかにも男親のやりそうなこと。2年前のヘンリク君の留学は周到に計画され、お母さんがホストファミリーとの事前のメールのやり取りまで添削していましたが、男親だけではそこまで手が回りません。自分の休暇と合わせてギリシャでバカンスを過ごしたものの、息子の高校が始まるまでの2週間、「とにかく遠くに」と日本の語学学校を選んだのでしょう。母の死を乗り越えて、広い世界を見てほしいというお父さんの願いがと伝わってきました。
16歳という年齢のわりにはクラウス君はどこか達観して超然としたところがあります。そして、キリスト教に懐疑的で仏教や神道の教えを熱心に聞きたがったのもお母さんの死の意味を考えたかったからではないでしょうか。
結婚はしたものの、子供を持つ重圧から逃げて、気ままに生きてきた私。
ひょんなきっかけから、外国人留学生のホームステイを引き受けることになりました。
私が教えている日本語学校の作文クラスで、ホストファミリーについての作文をよく書かせています。ホストマザーを「ホストの母」と書く学生がいるのですが、母親になることを拒んだ私が巡り巡って外国人留学生の母になるとは。
ホームステイを受け入れた学生、教室で教えている学生の両親のことをいつも想像します。
16歳のクラウス君を残してこの世を去るお母さんはどんなに無念だったことでしょう。
オランダの隣国のベルギーの作家、メーテルリンクは『青い鳥』で、「死者は眠っているだけで、生きている人が思いだしてくれるたびに目を覚ます」と書きました。クラウス君のお母さんは、私の中で目を覚ましました。