50代半ばを過ぎて、職業生活のゴールが見えてきたはずなんですが、「一億総活躍社会」の掛け声により60代だけでなく70代になっても働かなくてはいけないのかもしれません。「ゆとりの老後」は、これからの日本では一部の特権階級だけに許される贅沢なのでしょう。
しかし、いくら「働け」と言われても、これからの時代、仕事はどんどんなくなっていきます。
私の本業であるライター業はそろそろ消えつつある仕事。雑誌という媒体自体が毎年縮小しています。
副業の日本語教師も、教科書通りのことしか教えないのなら、そのうちAIに取って代わられるでしょう。
このブログを読んで、これからの仕事について考えさせられました。
教師については、こんなことが書かれています。
これからの教師に求められるのは生徒が楽しみながら学べる授業を展開できるとか、なかなか興味を持ちにくい科目でも生徒の興味をグワッと惹きつけられるとか、勉強に対してモチベーションが上がらない生徒をうまくサポートできるといった、より人間味があるとか、人の気持ちがわかるといったより人間らしい能力です。
まさにそうです。
日本語学校で作文のクラスを教えていると、「ひらがなをやっと覚えたのに、次はカタカナ! ひらがなだけでいいじゃん。漢字なんか絶対やりたくない」という学生に日本語を書かせるというアクロバティックな指導をしなくてはいけないこともあります。
日本で働きたいとか、日本語を使って仕事をしたいという動機があれば、学生のモチベーションも高いのでしょうけれど、私の働いている学校に来る学生は物見遊山を兼ねた短期留学生が大半です。
6週間1クールで一通りテーマを決めて教材を作っているものの、学生に合わせて少しずつ手直しする必要があり、いつまでたっても楽ができません。
先日、プライベートレッスンを担当しました。
通常のクラスは10人前後のグループレッスンですが、1対1のプライベートレッスンを希望する学生もいます。
30代のスイス人女性でした。10代後半の学生が多い学校なので、グループレッスンはあまり楽しくないのでしょう。そして世界一物価が高いと言われるスイスですから、プライベートレッスンの費用も割安に感じるのでしょう。
一通り自己紹介が終わったら、ピンポイントで知りたいことを質問してきました。
・ショッピングで、服を試着したい時はどう言えばいいか。
・レストランで会計したい時はどう言えばいいか。
・お寺と神社は何が違うのか。
・日本人はみんな忙しそうなのに、こんなに面倒くさい漢字をいちいち書いているのか。
最後の問いに対しては、タブレットを使ってローマ字入力を見せました。baraと打って薔薇という漢字が出しながら「漢字を書く練習よりも、漢字を読めるようになることが大切」と説明しました。
3時間のプライベートレッスンを持たせるのには、日本語教師養成講座で学んだ文法や教授法より、幅広い知識や対応力が必要だと痛感しました。
ボブ・ディランは「どんなことがあっても絶対に消えない仕事」は、"male prostitute, escort"だと言っていました。
「ジゴロ」「男娼」「ホスト」…AIにはできないような対人スキルが要求される仕事です。
いつになったらやすらかなリタイア生活が実現するのか。
自分が仕事をやめる、やめないを決めるのではなく、社会からお声がかからなくなったらそれが引退のタイミング。そう考えて、四苦八苦しながら続けていくしかありません。
この4月に訪れた呉の森田食堂。安くておいしいメニューがずらりと並び、地元のおばちゃん二人が切り盛りしていました。時代が変わっても、こんな食堂は生き残るでしょう。