村上春樹の『遠い太鼓』にヴァンゲリスというギリシャ人が登場します。
60歳に近い年齢で、英語はまったく話せないけれど、人懐っこくて親切な男性。村上春樹が暮らしたミコノス島の集合レジデンスの管理人です。
ヴァンゲリスの口癖。
「60になれば、年金が下りるんだ。そうすればもうあとは遊んで暮らせるんだ。ヴァンゲリスも歳取った。毎日働くのも大変だよ。そろそろ休んだっていいじゃないか」
『遠い太鼓』の奥付を見ると、1990年版。私が30歳になったばかりに買った本です。
30年前、ヴァンゲリスの口癖は遠い将来のことで、自分には関係ないと思っていました。
それから30年近くがたち、60歳がせまってきています。
私はどうしたいんだろう。
本音では、60代になったらもう働きたくない。この20年ほど、東洋占術に関わってきて、還暦が一区切りという思いを持つようになったのも理由の一つ。一通り暦を生きたんだから、あとは余生でいいじゃないか。
のんびり本を読んだり、映画を見たり。ハードスケジュールではない旅行に出かけたり。好きなことをして暮らしたい。
しかし現実には、本業の原稿の注文も全盛期から減ったとはいえ続いていますし、日本語教師は空前の人手不足で、へたすると週に4回も学校に通っています。
そして、日本の現状。
30年前のギリシャや日本では60歳で年金が下りました。ギリシャのことはわかりませんが、日本では年金受給年齢が上がり、65歳からの支給。長生きのリスクを考えると、受給開始年齢を少しでも遅くしたほうがよさそうです。それに、これからの日本では60歳でみんなが引退したら、社会が回っていかないでしょう。
といっても、さすがに立ち仕事はつらくなるのでは。「教壇に立つ」という言葉がある通り、教師が座っているわけにはいきません。そして、最近の語学教育は、インタラクティブな授業が主体です。教師が一方的に知識を授けるのではなく、学生の反応にリアクションしなければなりません。日本オタクの学生の好奇心にいつまで対応できることやら。
何歳まで働くかは、個人差も大きいと思います。
日本語教師はセカンドキャリアとして選ぶ人も多く、50代から始める人も少なくないし、70代で現役の人もいます。
「60で引退を考えています」なんて言うと「あなた、何てことを言うの、60代こそ日本語教師の最盛期なのに」と70代後半の先生にはっぱをかけられたことがあります。
その一方で、20代、30代であっという間に職場を去った人も目にしてきました。
とりあえず「自分では決めない」という結論に達しました。
続けても、やめても「これでよかったのか」と考えてしまうからです。
「あの先生はだめだ」と学生が来なくなれば、肩たたきされるでしょうし、日本の景気が冷え込んで来日する留学生が少なくなれば、日本語教師の需要も減ります。そうなったら若い人に道をゆずるべきです。
お声がかかる限りは働いて、引退すれば、社会のお荷物にならないように、さっさとこの世を去りたい。
そう願っていても、なかなか思い通りにはいかないでしょう。自分から選択を放棄して、成り行き任せにするのが心安らかに生きる術なのかもしれません。
日本で初めて建造された深海調査艇「しんかい」は1969年造。お役目を終えた後は、呉の大和ミュージアムで展示されています。
西日本豪雨で呉の街はどうなってることでしょう。