翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年秋、スペイン巡礼(フランス人の道)。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。おかげさまで重版になりました。

いつ引退すべきか問題

村上春樹の『遠い太鼓』にヴァンゲリスというギリシャ人が登場します。

60歳に近い年齢で、英語はまったく話せないけれど、人懐っこくて親切な男性。村上春樹が暮らしたミコノス島の集合レジデンスの管理人です。

 

ヴァンゲリスの口癖。

「60になれば、年金が下りるんだ。そうすればもうあとは遊んで暮らせるんだ。ヴァンゲリスも歳取った。毎日働くのも大変だよ。そろそろ休んだっていいじゃないか」

 

『遠い太鼓』の奥付を見ると、1990年版。私が30歳になったばかりに買った本です。

30年前、ヴァンゲリスの口癖は遠い将来のことで、自分には関係ないと思っていました。

それから30年近くがたち、60歳がせまってきています。

 

 

私はどうしたいんだろう。

本音では、60代になったらもう働きたくない。この20年ほど、東洋占術に関わってきて、還暦が一区切りという思いを持つようになったのも理由の一つ。一通り暦を生きたんだから、あとは余生でいいじゃないか。

 

のんびり本を読んだり、映画を見たり。ハードスケジュールではない旅行に出かけたり。好きなことをして暮らしたい。

 

しかし現実には、本業の原稿の注文も全盛期から減ったとはいえ続いていますし、日本語教師は空前の人手不足で、へたすると週に4回も学校に通っています。

 

そして、日本の現状。

30年前のギリシャや日本では60歳で年金が下りました。ギリシャのことはわかりませんが、日本では年金受給年齢が上がり、65歳からの支給。長生きのリスクを考えると、受給開始年齢を少しでも遅くしたほうがよさそうです。それに、これからの日本では60歳でみんなが引退したら、社会が回っていかないでしょう。

 

といっても、さすがに立ち仕事はつらくなるのでは。「教壇に立つ」という言葉がある通り、教師が座っているわけにはいきません。そして、最近の語学教育は、インタラクティブな授業が主体です。教師が一方的に知識を授けるのではなく、学生の反応にリアクションしなければなりません。日本オタクの学生の好奇心にいつまで対応できることやら。

 

何歳まで働くかは、個人差も大きいと思います。

日本語教師はセカンドキャリアとして選ぶ人も多く、50代から始める人も少なくないし、70代で現役の人もいます。

「60で引退を考えています」なんて言うと「あなた、何てことを言うの、60代こそ日本語教師の最盛期なのに」と70代後半の先生にはっぱをかけられたことがあります。

その一方で、20代、30代であっという間に職場を去った人も目にしてきました。

 

とりあえず「自分では決めない」という結論に達しました。

続けても、やめても「これでよかったのか」と考えてしまうからです。

 

「あの先生はだめだ」と学生が来なくなれば、肩たたきされるでしょうし、日本の景気が冷え込んで来日する留学生が少なくなれば、日本語教師の需要も減ります。そうなったら若い人に道をゆずるべきです。

 

お声がかかる限りは働いて、引退すれば、社会のお荷物にならないように、さっさとこの世を去りたい。

そう願っていても、なかなか思い通りにはいかないでしょう。自分から選択を放棄して、成り行き任せにするのが心安らかに生きる術なのかもしれません。

 

f:id:bob0524:20170406110004j:plain

 

日本で初めて建造された深海調査艇「しんかい」は1969年造。お役目を終えた後は、呉の大和ミュージアムで展示されています。

西日本豪雨で呉の街はどうなってることでしょう。