ブームに乗ってアドラー心理学の本をよく読んでいます。
心理学というより自己啓発に近いといわれるのは、実生活で応用できる部分が多いからでしょう。
アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために (ベスト新書)
- 作者: 岸見一郎
- 出版社/メーカー: ベストセラーズ
- 発売日: 1999/09
- メディア: 新書
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紀元前5世紀の言語を学ぼうというだけあって、どの学生も優秀です。そのため、岸見先生のギリシア語の授業で初めて読めない、わからないという体験をするそうです。
質問をしても黙ってしまって答えない学生に「どうして答えなかったか自分でわかりますか?」と先生はたずねます。
学生の答えにはっとしました。
「もし私が(実際に)答えて間違ったら先生は私ができない学生だと思うだろう、と思いました。でもそんなふうに思ってほしくありませんでした。たまたまこの問題ができないだけで本当はできると思ってほしかったのです」
ベストセラーの『嫌われる勇気』でも、赤面症の女学生の話が出てきます。
人前に出ると赤面してしまうので治したいという女学生に「もし赤面症が治ったら、なにがしたいですか?」と聞くと、「お付き合いしたい男性がいる」という答え。
彼女が赤面症になり、治らない理由は、「赤面という症状を必要としている」から。
なぜなら、彼女にとっていちばん恐ろしいこと、避けたいことは彼に振られてしまうこと。でも、赤面症のままでいれば「もし赤面症が治ったらわたしだって」という可能性のなかに生きることができるのです。
「やればできる子」というフレーズがあります。
自分はやればできるという可能性を残しておきたいために、わざと勉強しません。本当に勉強してできないという現実に直面するのを避けるのです。
子供を溺愛する母親が「うちの○○ちゃんは、やればできる子だから」と言えば言うほど、子供は実際にやってみてできなくて母親を失望させるのを恐れて勉強しなくなります。
学校を卒業しても、同じことです。
「ダイエットすれば、やせる」と思ってお菓子を食べる。加齢とともに基礎代謝が上がり、若い頃のようにダイエットの成果が上がらないという現実に直面するのを避けているのです。
「実際に英語を使えば使うほど、上達する」のは当たり前のことですが、下手な英語がはずかしくて、口を閉ざしてしまう。
「毎日瞑想すれば、人生が変わる」。しかし、本格的な悟りを得るためには、厳しい修行が必要。でも、自分が世俗的な人間であることに直面するのが恐ろしくて忙しさを理由に瞑想をさぼってしまう。
自分を甘やかして現状を肯定するために「やればできる」は便利なロジックですが、そんなことを言い続けているうちに人生は終わってしまいます。
「やってもできない」ほうが、「やればできる」とよりずっとましです。