翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

人生には折々にタイミングがある

介護帰省で実家に戻り、本棚でラッセル・ベイカーの『グローイング・アップ』を見つけました。

著者は1925年生まれのニューヨーク・タイムズのコラムニスト。本の奥付を見ると1986年刊。

30年以上も前、 外国かぶれだった私が手当たり次第に買ってそのままにしていた本です。

 

エリートの自伝かと思いきや、大恐慌の時代に懸命に生きた家族の物語で、一気に読了。若い時より、50代になって外国人相手とはいえ、思いがけず教師になった今こそ読むべき本でした。

 

ラッセル・ベイカーの母親は向上心が強く大学に進学しますが、父の死によって学業を続けることができず、若気の至りでハンサムな石工とでき婚。

教養や教育なんて価値がないという姑と対立しながら、ヴァージニアの田舎で子供を育てます。

1920年代初頭の家事はけっこう大変です。

電気、ガス、水道もなく、丘のふもとの泉から生活用水を運ぶ毎日。湯をわかすのは薪ストーブ。料理は飼育した鶏を絞めて羽根をむしるところから。畑でとれた野菜は瓶詰にします。洗濯物はタライで煮て、洗濯板でこすり、手でしぼります。

そんな重労働の日々の心の支えは、長男のラッセルが立派に成長し、一角の人物になること。日本人顔負けの教育ママとして学校の宿題も全部見ます。

遠縁に新聞記者として成功した人がいたことから、ラッセルの母親も息子の文才を育てようとしますが、大恐慌の時代は食べるだけで精一杯。夫に先立たれ、経済的に行き詰った一家は食料の配給を受けることを余儀なくされます。

 

グレープフルーツジュースやコーン・ミール、米やプルーンを無料でもらい、ワゴンに詰め込んで家路につく親子。

政府の施しを受けることは自力で暮らしていけない怠け者だと教え込まれていた長男のラッセルは「我が家はここまで落ちぶれたのか」と衝撃を受けます。そして、近所の人に食料品が見えないように「ワゴンを押していると暑くなった」とセーターを脱ぎ、ワゴンにかぶせます。寒い日でしたが、母も「ほんとに暑いわね」と上着を脱いで食料品の上にかぶせます。

幼い妹だけが、意味が分からず「私は暑くない、寒い」とコートを脱ぎません。

 

そんな環境の中で勉学に励み、高校3年になったラッセルは、フリーグル先生が英語の担任だと知りがっかりします。指導力に欠ける退屈な教師という悪評の先生だからです。

ある日、自由エッセイが宿題となり、学校で習った正式な作文法ではなく思いのままに書いて提出。落第点をもらうかもしれないと観念していたところ、みんなの作文は返されたのに自分のだけ返ってきません。てっきり呼び出されて注意されるのかと思っていたら、みんなの前で先生はラッセルの作文を読み上げます。

 

タイトルは「スパゲッティのおいしい食べ方」。

当時のアメリカではスパゲッティはエキゾチックな食べ物で、同居していた叔父、叔母も交えてスパゲッティをおいしく食べる方法を笑いながら口論したという内容です。

後にニューヨーク・タイムズのコラムニストとなるほどですから、ラッセル・ベーカーには生まれつきの文才があったのでしょう。クラス全員が先生の朗読に真剣に耳を傾け、誰かが笑い、続いて全員が心から楽しそうに笑い出します。

 

私は天職を見つけた。学校に通いはじめてから、これほど幸福だった時はない。さらに読み終わったフリーグル先生の言葉によって、私の幸福感は、決定的なものとなった。

「さて、みなさん、これこそエッセイです。わかりますか。これが、エッセイの神髄です。おめでとう、ベイカー君」

 

教師の一言が、学生の人生を変えることがある。

いつか私の日本語作文教室からも、作家が出るかもしれないという妄想を抱きながら、学生にかける言葉を慎重に選びたいと思いました。

 

そして、この本が30年間にわたって実家で積読だったのは、読むべき時を待っていたからだったのでしょう。

 

私が愛してやまないボブ・ディランは「歌が下手」「声が変」「歌詞が難解」と、なかなか理解されないことが多いのですが、それはディランが次々とスタイルを変えるから。みうらじゅんは、自分の年と同じ年のディランの曲を聴くことを提唱しています。

ディランのこの曲が好きと思いつつ、今の自分の年にディランは何をやっていたのかが、人生の指針となっています。

 

本も曲も、読むべき、聴くべきタイミングがあります。それがぴたりと合えば一生の宝物となります。

 

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松江のラフカディオ・ハーン小泉八雲)旧居。

ハーンも、英語の教師として教壇に立ち、「これはこうだ、あれはああだと機械的に教えるのではなく、想像力を伴わなければ意味がない」という教育方針で創意あふれる授業をしたそうです。

ハーンもしかるべきタイミングに動き続けた人だと思います。

 

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