子どもの頃、学校に行くのが嫌でたまらなかった私が外国人相手とはいえ、教師になってしまいました。
教育現場にも改革の波が押し寄せ、私が受けたような教師が一方的に知識を伝授するスタイルは時代遅れとなりつつあるようです。
ここ数年もてはやされているのが、フィンランドの教育。
高校2年生の数学の授業のようすが紹介されています。
数学を担当する男性教師ペッカ・ぺウラ先生(35)は、全員に向かって講義をすることもなければ、黒板も使わない。その代わり、小さなメモ用紙とペンを手に生徒たちの机の間を歩いて回り、質問があれば一人ひとりを相手にじっくりと解説する。生徒たちが開いている教科書のページはバラバラ。ヘッドホンをつけて、音楽を聴きながら問題を解いている生徒もいる。ぺウラ先生は「高校生にもなれば学力に差がつく。全員を一律に教えても生徒はついて来られない」と話す。
シリーズの2回目は小学校1年生の工芸の授業。
アイスキャンディーの棒に毛糸を巻き付けて目をつけ、芋虫のような工作を作ります。
毛糸の長さも配色も自由。手先の器用な子はどんどん作り、先生に見せに来ます。
その一方で「むずかしい」「できない」という子も。すると先生はその子だけ簡単な作り方に変えました。
先生は記者にこう説明しました。
「大事なのは完成させること。『できるんだ』という成功体験を大事にしたい」
記事では、フィンランドで10年ぶりに改訂された学習指導要領も紹介されています。
新指導要領では「何を学ぶか」から、「どう学ぶか」に重点が大きく変わった。子どもの「好き」を刺激し、自尊心を育むことを目指す。
これを読んで、日本語学校で私が教えている作文クラスの方針が固まりました。
文法や活用のリピート練習は、日本語能力でレベル分けされている通常クラスに任せよう。
さまざまなレベルの学生がいる私のクラスでは、日本語を使って自分の「好き」を表現することを目標とし、全体授業はやらない。
そして、漢字を使わずひらがなだけでも、書くのに時間がかかっても、学生に恥ずかしい思いをさせない。
学生に同じ課題を渡せば、学力差があらわになってしまいますが、別々の課題なら、ほかの学生と比べることはありません。
同僚の先生の一人から「作文のクラスって自習みたい」と言われたこともあります。資格を取るために受けた日本語教師養成講座では、こんな教授法はまったく出てきませんでした。
作文とはいえ、一応は語学学校ですから、私のやり方でいいのか悪いのか、わかりません。
それでも、学生の中で「こんなことを日本語で書きたい」という意欲が湧き起り、その手伝いができればそれでいいんじゃないかと思っています。日本語の知識を詰め込むよりも、どう学んだかをおぼえてほしいから。
4年前、フィンランドを旅して、ひょんなことから小学校の授業を見学しました。その時は単なる好奇心しかなかったのですが、今の状況へと導く出来事だったのかもしれません。bob0524.hatenablog.com