みうらじゅんの「人生は暇つぶし」という言葉を念仏のように唱えています。
「暇つぶし」だったら、思い通りにならなくても落ち込むことはないし、人に過大な期待を抱くこともないはずです。
温泉というのは、格好の暇つぶしです。
一般の観光旅行だと「ガイドブックに載っているスポットに行かなくちゃ、ネットで評判の店で食べてみたい」とやたらと気ぜわしく落ち着きません。でも温泉旅行なら、ただお湯につかっていい気持になり、あとは部屋で休んでたまに近隣を散歩するぐらい。
草津は観光地化しているところがあるので、少し落ち着きませんでした。もっと鄙びた温泉ならゆったりと暇がつぶせることでしょう。そして、草津も再訪すれば、観光スポット巡りにガツガツすることなくゆっくり楽しめるはずです。
草津のお供はこの本。
温泉旅にはあまりふさわしくない本ですが、大評判となった年に買ったまま、忙しさにかまけて読んでいませんでした。読み始めたら一気に最後まで読むような予感がして放置していました。
草津行きの高速バスで読み始めると、案の定、一気に本の世界に引き込まれました。
残虐シーンは読むのが苦痛でしたが、それ以上に登場人物が魅力的で想像が広がります。
主人公のアレックス。
関心があるのは仕事、そして気晴らし。
<中略>
恋にあこがれ、愛を求めたことがあるのにもうあきらめた。ただし、恋愛をあきあめたからといってむやみに食欲に走らないこと、太りすぎないこと、ある程度スタイルを保つこと、それだけは気を付けている。
なかなか魅力的なフランス女性です。
私も太りすぎないことに気を付けてきた人生を送ってきたので大いに共感しました。
「おひとり様」で外食して、よく冷やしたアルザスのハーフボトルを注文。なるほど、一人でフルボトルは飲みすぎです。
『フランス人は10着しか服を持たない』という本がありましたが、アレックスは思い立ったら数時間で荷物をまとめてに引っ越すことができます。
そしてアレックスの事件を追う刑事カミーユ。
身長が145センチしかない。だからいつも十三歳の子供のように世界をしたから見上げている。それは母親のせいだった。亡き母、モー・ヴェルーヴェンは著名な画家で、今でも世界各地の十ほどの有名美術館にその絵が展示されている。ところがこの母は偉大な画家であると同時に重度のニコチン依存症で、いつもたばこの煙に包まれていた。あの青みを帯びた煙なしに母を思い出すことはできない。その母からカミーユは二つの特徴を授かった。いや、押し付けられたというべきか。一つは画才で、もう一つは低身長。ニコチン依存症の女性が妊娠すると、胎児が栄養不足に陥ることがある。
フランスだけでなく世界中どこでも身長145センチの男性は、かなり生きづらいことでしょう。しかも心に大きな傷を抱えたカミーユの存在がこの小説に深みを与えています。
カミーユの部下も、とんでもなく個性的です。
ルイは金利だけで生きていけるだろうし、おそらくは四、五世代先の子孫まで残せるほどの資産があるだろう。それにもかかわらず、ルイは刑事になった。
筒井康隆の『富豪刑事』、『こち亀』の中川。お金がたっぷりあって趣味で犯罪捜査をするというのは洋の東西を問わず、魅力的なキャラクターなんでしょう。
ルイとコンビを組むのがドケチのアルマン。
朝、ホテルに聞き込みに行くとちゃっかりビュッフェ形式の朝食に手を出します。
アルマンは質問の合間に「ちょっといいか?」と言っかと思うと、答えも待たずにコーヒー、クロワッサン四個、オレンジジュース、コーンフレーク、ゆで卵、ハム二切れ、プロセスチーズ数切れを取ってきた。そして次々と頬張りながらもきちんと質問をし、答えを注意深く聞いている。
東京から草津行きのバスで半分を読み終わり、草津で温泉につかるのももどかしく、その日のうちに読了しました。
翌日、西の河原の露天風呂に入りながら心はフランスに飛んでいました。
仕事用のパソコンを持参しなかったので、温泉と読書ぐらいしかすることがありません。やるべきことに追い立てられている東京の暮らしから離れ、こうした時間を持つことも必要だと実感しました。