老いの教科書としてメイ・サートンの著作を読んでいます。「年を取るのは素晴らしいことです。今までの生涯でいちばん自分らしくいられるからです」、「人が死を恐れるのは、一つにはその準備ができていないからです」といった言葉に、はっとさせられました。
現在読んでいるのは『夢見つつ深く植えよ( Plant Dreaming Deep)』。
メイ・サートンはベルギー人の父とイギリス人の母とともに4歳の時にアメリカに亡命。劇団を作ったり大学で教えて収入を得て、50代半ばにしてようやく文筆業で暮らせるようになりました。ニューハンプシャーの築100年の古い家と出会い、一人暮らしを始めます。
メイ・サートンのような老後にあこがれますが、私には絶対に無理。ドアの鍵をかけるだけで気軽に外出でき、徒歩圏内に駅や商店街、コンビニ、スーパー、スポーツクラブ、駅、公園などすべてが揃っている今の暮らしが気に入っています。
1960年代、メイ・サートンの家にはネットもありません。家を整え、庭を造りながら詩や文章を書く日々。彼女はかなりの日本好きで、北斎や広重の浮世絵や弘法大師の複製画を飾りました。
彼女によると日本人は「与えられたものを使いこなし、新しい形に仕上げる巨匠」。その反対がフランス人で、自然を合理化し幾何学的な庭を造ります。日本とフランスの中間にあるのが英国で、メイ・サートンが目指したのもニューハンプシャーの地形を生かした英国風の庭。そして、キッチンのそばの小さな梅の木が初めて花を咲かせると、日本滞在時に訪れた鎌倉の円覚寺に思いを馳せたりします。
一軒家の一人暮らしを律するために、メイ・サートンは生活に「儀式」を確立することを心がけました。
たとえば夕食のテーブルには必ず花とワイン、よき召使の手によるように注意深く整えること。一人で食べるので洗練された会話は望めないため、代わりに読むべき本を開いておくこと。
すべては、客人のために整えられたかのように。そして、客は、ほかならぬ私なのだ。
テレビをつけたまま、スマホ片手にコンビニ弁当をかきこむ現代人と対極にあります。
そして庭造りを手伝ってくれる貴重な隣人、クイッグとミルドレッド夫妻も儀式を愛するタイプ。暖炉の火が燃え、テーブルには花、一日の終わりの閉じられた平和な時間に三人で飲むのを儀式のように楽しんだとあります。漠然と生き、なし崩し的に一日を過ごしていたのではこういう境地にはなれません。
この春、山梨の石和温泉に泊まった翌朝、隣のワイナリーで朝食。コーヒーの代わりにワインを頼めます。朝からアルコールという廃人のような状況ですが、儀式のようにゆっくり味わい、すばらしい一日を送ることができました。お酒はこういう風に飲めばいいのか。