先月亡くなった上岡龍太郎さん。関東の人にはなじみが薄いかもしれませんが、関西人にとってはこれでまた一つの時代が終わったように感じます。
隠居について語ったインタビューが、これからの老後を迎えるにあたりとても参考になりました。
思いどおりにならんことほど、おもしろいんです。「楽しむ」という字と「愉しむ」というのとあるでしょう。楽することを、たのしいことやと思うからいかんのですよ。すべてを愉しむ。苦しい、しんどい、不便、そういうことを選んでやると愉しなります。
たとえばゴルフね、悪いところに行ったわ、池越えなあかんわ、これ打つの難しいわと思うから愉しいんで、いつも楽に打てたらおもしろないでしょう。そもそも王侯貴族の遊びですから、すべてが思いどおりになる人たちが、これは思いどおりにならんと愉しむんですから。
思えば、これまでの人生「思いどおりにする」ことを目指して生きてきました。少しでも多くの結果を出して、社会から認められようとしてきたのです。
体に特に悪いところがなく、病と無縁だったのも、傲慢さに拍車をかけてきました。
しかし、いくら丈夫でも老化は着実にやってきます。今はスポーツクラブのダンスレッスンに通い、行きたいところに出かけられる日々を送っていますが、いつまでもこんな自由な日が続くわけではありません。
健康自慢の頑丈な人間が、自分の老化にショックを受けてがっくり落ち込むというのはリアルに想像できます。そして、今はなんとか社会生活を送っていますが、そのうち変化に追いつけなくなり、買い物や交通機関の利用に苦労することも多くなるでしょう。社会に腹を立ててキレる高齢者にならないためにも、「思いどおりにならないことを楽しむ」姿勢を身につけたいのです。
もう一つ、上岡龍太郎氏の印象深いエピソードをネットで目にしました。
昔、イベント会場設営のアルバイトで神戸の海岸へ。休憩時間に海を見ようと防波堤に行ったら、ゲストの上岡さんが一人で海を見ていた。隣に座っていいかと了解を経て、肩を並べて海を見ながら、天気や阪神タイガースの話をゆるく語り合った。若いバイトに威張ることもなく自然体で接することのできるかっこいい人だと思った。
若い頃の自慢話や思い出話ばかりして、若者に距離を置かれないように、こうした姿勢も見習いたいものです。
釜山の海雲台の海岸。海を見ていると飽きません。次は下関から船に乗って釜山に行ってみたい。