ウクライナの戦争は長引き、ロシアにクーデターが起きたのかと思いきや、何がどうなったのかよくわからない状況。
先日は釜山の旅を楽しみましたが、朝鮮戦争は終わっているわけではなく休戦状態が続いているだけだそうです。
観光名所となった甘川文化村。
山肌に建つ家屋が鮮やかにカラーリングされ、東洋のマチュピチュとも呼ばれます。路地を歩けば、あちこちにユニークなアートが展示されている人気の観光スポットです。
もともとは朝鮮戦争で北朝鮮からの避難者が住み着いた集落。着の身着のままで逃れて来て、交通の不便な山間部に身を寄せ合うようにして暮らしていたのでしょう。
釜山出身のジョングクとジミンの壁画もあります。
世界的な成功を収めたBTSでさえ、兵役を逃れることはできませんでした。
戦争は遠い過去のものではないと実感し、子どもの頃に読んだ『あらしの前』『あらしのあと』を再読。ナチスによるユダヤ人迫害を描いた児童書です。
オランダの村で平和に暮らしていた一家。愛情深い両親と三男三女。
村人から頼りにされる医師の父親が、命からがらドイツから逃げて来て病気で動けなくなったユダヤ人男性と出会います。甥のヴェルナーという少年を連れていました。
両親はヴェルナーを家に引き取ります。『思い出のアンネ・フランク』によると、あの時代、ナチスに協力するオランダ人もいれば、命の危険をかえりみずユダヤ人を助けた良心的なオランダ人もいました。
農業国であるオランダは食料が豊富です。一般的にオランダ人といえば、ケチというイメージ。英語で"go Dutch"と言えば割り勘です。しかし、単なるケチではなく、ここぞという時に惜しみなく援助の手を差し伸べるための節約なんでしょう。
ヴェルナーは一家に温かく迎えられ、徐々に元気になっていくのですが、ドイツがオランダを占領。このままではヴェルナーは収容所送りになってしまうということで、一家の長女ミープは決死の覚悟でヴェルナーをロッテルダムまで車で送りイギリスに逃がします。ミープほど運がよくなかったのは次男のヤン。レジスタンスに従事し、ナチに殺害されました。
戦争は5年間続き、終戦を迎えても、オランダの国力は衰え国民は満足に食べらない貧しい日々が続いています。
そんなある日、村に現れたアメリカ軍の兵士。すっかり成長したヴェルナーです。イギリスからアメリカに渡り、終戦直前に召集され、ドイツ語ができることからドイツ戦線へ送らました。
休暇をもらったヴェルナーは、戦争中に受けた恩を返そうと、バターや卵などの食料やいるをたっぷり持って一家を再訪したのです。
『あらしの後』の表紙はそのシーンの挿絵です。
次女のルト、三男のピムと街に出かけると、子供たちがヴェルナーのまわりに集まります。「兵隊さん、チューインガム!」、「タバコおくれよ、キャンディおくれよ」とねだりながら。
「ギブ・ミー・チョコレート」は日本だけではなかったのです。日本は敗戦国だからしかたがないとしても、オランダは連合国側で戦争に勝ったというのに。
1971年に昭和天皇がオランダを訪問した際、卵や魔法瓶を投げつけられたり植樹した苗を引き抜かれました。
オランダの植民地だったインドネシアが日本に占領され、捕虜にされたオランダ兵がひどい虐待を受けたことが原因とされていますが、戦勝国でありながら戦後も苦しい生活を余儀なくされていたとしたら、ナチスと手を組んだ日本に対して激しい憎しみを感じるオランダ人がいるのもわかります。
戦争は遠い過去のようでいて、現在まで続いています。
ドイツのワイツゼッカー大統領が「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」とスピーチしたのは1985年のことです。
コロナを経て、再び国外に出られるようになったのはうれしいけれど、過去にも現在にも目を閉ざしたまま旅をすることはできません。