外出自粛が続いていますが、自宅で仕事をしているので特に変わりはありません。
連載を持っている週刊誌は毎週、メールで入稿と校了を繰り返しています。翻訳記事を載せている月刊誌からも6月号のデータが送られてきました。いずれもいつまで続くかわかりませんが…。
空いた時間はもっぱら読書と映画、ドラマ。ほぼ1年ぶりにこの本を開きました。
前回読んだ時と現状のあまりの違いに頭がくらくらしてきます。
のんきに毎日を過ごし、思い立ったら自由に旅ができて、あえて断食という非日常の体験に挑戦。何と恵まれていた日々!
友永ヨーガ学院のホームページを見ると、3月3日から休校。当初は3月15日までだったのが、どんどん延長されて5月7日までになっています。そしてゴールデンウィークが開けても開校するのかどうか定かではありません。
「これで1週間を乗り切る」と決意を込めて撮った写真。
断食といっても1週間まるまる何も食べないのではなく、玄米粥、玄米クリームと徐々に摂取カロリーを減らして2日間を水だけで過ごし、再び玄米クリーム、玄米粥と増やしていきます。甘いパイロゲンは空腹をまぎらわすためにいつでも飲めます。そして、断食中に便秘になるのを防ぐために液体状のミルマグも飲んでいました。
精神の糧として本も重要です。食欲を抑える本を用意しました。
『シッダールタ』は仏教英語講座の副読本として。
『イワーン・デニソヴィッチの一日』はスターリン時代のラーゲリ(収容所)を描いていますが、時折ユーモアを交えて書いているし、ラーゲリで出されるおかゆがおいしそうで、途中でギブアップ。
最も効果的だったのが『これが人間か』です。
著者はアウシュヴィッツ強制収容所から生還したイタリア人化学者にして作家のプリモ・レーヴィ。
空腹を忘れるほどのインパクトがありました。 書名の「これが人間か」は冒頭の詩から取られています。
暖かな家で
何ごともなく生きているきみたちよ
夕方、家に帰れば
熱い食事と友人の顔が見られるきみたちよ
これが人間か、考えてほしい
泥にまみれて働き
平安を知らず
パンのかけらを争い
他人がうなずくだけで死に追いやられるものが
「何ごともなく生きている」のがどれだけ幸運なことか、胸に迫ってきます。
プリモ・レーヴィの生涯をたどると、幸運なのか不運なのかわからなくなってきます。たしかにあの時代のヨーロッパにユダヤ人として生まれたことは決定的な不運ですが、たぐいまれなる知性を持って生まれました。
名門校で文学と科学で才能を発揮し、トリノ大学では化学を専攻。2年生の時に人種法が制定されユダヤ人は公教育から追放されますが、すでに大学に入学していた学生は例外として学業を続けることができました。
しかし、卒業論文の執筆のため実験室に受け入れてくれる教授を探したところ、すべて断れました。1938年、さほど遠くない過去にこうしたあからさまな差別が横行していたのです。
それでも一人の助手が受け入れてくれ、卒論を完成。満点の評価を得たものの、評価書の余白には「ユダヤ人種」という但し書きが。そのため就職には苦労します。
そうこうしているうちにナチスドイツがイタリアを占領。レジスタンス活動に関わっていたためアウシュヴィッツ強制収容所に。一緒に送られたイタリア人650人のうち、帰国できたのは23人だったそうです。
プリモ・レーヴィがアウシュヴィッツに送られたのは、1944年。労働者不足がひどくなったために、絶滅収容所ではなく囚人の延命を決定した時期だったのは幸運だったと彼は書いていますが、すぐに殺された方が幸運ではないか思うほどの壮絶な苦難が続きます。
ユダヤ人というだけで差別されたのは昔のことで、現在ではこんなひどいことはあり得ないと思っていました。
ところが、フィジーに語学留学していた日本人が帰国できなくなり、街を歩いていたら「コロナ!」とののしられたとか、大阪・泉南市の72歳の市議がコロナ感染した女子高生を「殺人鬼に見える」とフェイスブックに投稿するなど、人間の本性があらわになってきています。
『これは人間か』は、過去のできごとではなく、現在でも起こりえる事態を描ているのです。